泊瀬部皇女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
泊瀬部皇女(はつせべのひめみこ、686年以前? - 741年)は、飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇女で、母は宍人臣大麻呂の娘、かじ媛娘。同母兄弟は忍壁皇子・磯城皇子・同母の妹は託基皇女、夫は川島皇子。
大宝律令施行後は泊瀬部・長谷部内親王とも記述される。持統5年(691年)、川島皇子が死亡した時、万葉集巻2 194-195に柿本人麻呂が献じた歌がある。 夫の死後再婚せず、天平9年(737年)2月14日三品に昇進、4年後の天平13年(741年)3月28日に死亡した。
[編集] 血縁
- 兄弟姉妹の表記は第1皇子、第2皇子等の記述を基にしたが、序列的な意味合いもあるため実際の生誕順ではない事がある。
異母兄弟姉妹
- 夫:川島皇子
[編集] 外部リンク
執筆の参考文献とした。
カテゴリ: 飛鳥時代の人物 | 奈良時代の人物 | 飛鳥・奈良時代の皇族 | 741年没