渡辺真知子
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渡辺真知子(わたなべ まちこ、1956年10月23日 - )は、日本の歌手、シンガーソングライター。神奈川県横須賀市出身。一般に、ニューミュージックに分類される。
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[編集] 来歴・人物
1975年、高校生のころにヤマハポピュラーソングコンテストに『PIA』というグループで参加したが、エントリー時はすでにソロになっていた。『オルゴールの恋歌』で審査員特別賞を受賞。
1977年にデビュー。松任谷由実の次の世代のニューミュージックの歌手として活躍し、ヒットチャートにおいて、トップ10級のヒット曲も多く持つ。それ以前の世代のフォーク・ニューミュージック系のアーティストと異なり、テレビやラジオにも積極的に出演した(この世代一般の特徴でもある)。当時は、アイドル歌手があまりいなかったこともあり、アイドル的な扱いを受けることもしばしばあった(例えば、石野真子と同じような位置付けで見られることなど)。
2006年現在も活動中。他人から提供された曲を歌うなど、シンガーソングライターにこだわらない活動をしている。
ボーカルの面では、声楽出身であることもあり、声量および迫力において他のニューミュージックの歌手と比べても抜きん出ていた。後年、「速報!歌の大辞テン」で彼女のVTRが紹介された時、ゲストの工藤静香も「渡辺さんに憧れます。」と語っている。
作曲の面では、明快で、ときとして迫ってくるようなメロディーラインが特徴である。ある意味で、歌謡曲的なキャッチーさをたぶんに持っており、佐藤健またはのちの中崎英也といったプロの作曲家の作風に近い面がうかがわれる。また、楽曲の構成もはっきりとして、ある種厳格とも言える。
また、シンガーソングライターという位置付けでは、のちの小林明子や辛島美登里へとつながる流れの源流にあるといってもよい。また、ボーカリストという位置付けでは吉野千代乃へもつながっていくといえるだろう。
編曲は、初期は船山基紀が、一手に引き受けた。いずれも極めて印象的な前奏で始まる、いい意味で歌謡曲的な要素もふんだんに取り入れたシングルは、ニューミュージックの歴史の中でも代表的な作品群であり、同時に船山にとっても代表作といえる。そもそも編曲作品においてヒット曲の多い船山ではあるが、歌手デビューからトータルでプロデューサー的な役割まで果たし、しかもここまでヒット曲を多く出したという例は渡辺真知子をおいて他にない。
[編集] 代表曲
- 迷い道(1977年 デビュー曲 1978年紅白歌合戦初出場曲)
- かもめが翔んだ日 (1978年 日本レコード大賞最優秀新人賞受賞曲)
- ブルー (1978年)
- たとえば…たとえば(1979年 2回目の紅白歌合戦出場曲)
- 唇よ、熱く君を語れ(1980年 カネボウ化粧品CMソング)
- 哀愁トラベラー(1988年 JRナイスミディパスCMソング)
- メソポタミア・ダンス(1991年 ブティックジョイCMソング)
- その他(年度は略)
-
- 別れてそして
- 季節の翳りに
- ホールド・ミー・タイト
- たかが恋
- 好きと言って
- OFF SHOREの風
- エスプレッソでお別れ
[編集] テレビ出演
- さんまのまんま(関西テレビ)
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(※テレフォンショッキングゲスト。フジテレビ)
- なるほど!ザ・ワールド(フジテレビ)
- ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
- ふたりのビッグショー(NHK総合)
- ときめき夢サウンド(NHK総合)
- BS日本のうた(NHK BS-2)
- グレートマザー物語(テレビ朝日)
- THE夜もヒッパレ(日本テレビ)
- いつみても波瀾万丈(日本テレビ)
[編集] CM
[編集] ラジオ番組
- 三菱ドライビングポップス(TBSラジオ)
- 電リクときめき倶楽部