滝田樗陰
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滝田 樗陰(たきたちょいん 1882 - 1925年)は総合雑誌「中央公論」編集長。名編集者として知られる。
秋田県(現秋田市)生まれ、本名は滝田哲太郎。東京帝国大学に進学するが、在学中に「中央公論」の編集者になり、中退。1912年、編集主幹となる。中央公論は元々、本願寺系の宗教雑誌であったが、滝田は谷崎潤一郎をはじめ多くの新人作家を起用、また吉野作造のデモクラシー論を掲載した。これにより中央公論は大きく発展し、近代日本を代表する総合雑誌になった。
[編集] 著書
- 明治維新三大政治家 大久保・岩倉・伊藤論(池辺三山述、滝田樗陰編)
[編集] 参考書
- 滝田樗陰 ある編集者の生涯(杉森久英、1966、中公新書)