煎茶道
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煎茶道(せんちゃどう)は、広義には茶道の一種。ただし、一般的には茶道は抹茶を用いる抹茶道を指すことから、急須等を用いて煎茶や玉露などの茶葉に湯を注いで飲む形式を採る煎茶道は、茶道とは別のものとして捉えられている。
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[編集] 日本における歴史
日本における煎茶道の開祖は、江戸時代初期に禅宗の一つである黄檗宗を開いた隠元隆琦とされている。このことから、現在も全日本煎茶道連盟の事務局は京都の黄檗山萬福寺内に置かれ、同連盟の会長は萬福寺の管長が兼務することが慣わしとなっている。
この頃既に茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まった。江戸中期になると売茶翁により、それまで中国文化の模倣の域を出なかった煎茶趣味の世界に独自の方向が示され、さらに煎茶は江戸や京都・大坂を中心に上流階級に広く普及した。
この動きの中で、主に「より美味しいお茶を味わうため」の技術を追求する目的に加え茶道の流儀などを参考とし、一定の形式や礼法を定めた「宗匠派」と呼ばれる一派が生まれるが、現在一般に「煎茶道」として知られているものは主にこの宗匠派に由来するものといえる。
その後明治・大正期の文明開化の流れの中で西洋文化がもてはやされたことから、中国文化に由来する煎茶道は一時衰退を余儀なくされるが、昭和に入り煎茶道を復興しようとする動きが各地で盛んとなり、1956年には全日本煎茶道連盟が設立される。1960~1970年代には煎茶道は一時隆盛を迎えるが、近年煎茶の大衆化が進むにつれ煎茶道への関心は薄れてきており、現在動きは停滞している状況である。
[編集] 流派
2006年現在全日本煎茶道連盟には38の流派が加盟しているほか、連盟に非加盟の小流派も多数存在する模様。いわゆる三千家が支配的な地位を占める茶道と異なり、煎茶道においては多数の小流派が乱立している状態が続いている。
[編集] 主な流派
- ※この二流は日本最古の流派で「宗匠派」の代表とされる。
[編集] 道具
煎茶道で使用される主な道具には以下のようなものがある。ただし実際には同じ道具であっても、流派によって呼称が全く異なる場合が多数見られる。逆に同じ名称ながら、流派によって実際には違う道具のことを指す場合も少なくないため、呼称には注意が必要である。
- 「瓶掛」は小型の火鉢。