看板建築
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看板建築(かんばんけんちく)とは、関東大震災後、商店などに用いられた建築様式。建築史家藤森照信が命名したもの。
典型的なものは木造2階建ての店舗兼住宅で屋根裏部屋を造り、建物前面を平坦として(軒を前面に出さない)モルタルや銅板で仕上げて装飾をつけるのが特徴。ちょうど看板のような平坦な壁を利用して、自由なデザインが試みられたため、看板建築と命名された。
江戸時代以来一般的だった商店(店舗兼住宅)は、軒を大きく前面に張り出したもので、出桁造と呼ばれるものであった。立派な軒が商店の格を示していた。関東大震災後の復興では土地区画整理を実施し、街路を拡幅したため、各商店は敷地面積を減らさざるをえず、軒を出すのは不利であった(道路上に軒を出せば違法建築である)。また、耐火性を向上させるため、建物の外側を不燃性の材質で覆う必要があった。加えて、庶民層の間にも洋風デザインへの志向が強くなってきていた。こうした条件が重なり、震災復興の過程で大量の看板建築が造られることになった。
外観こそ洋風に見えるが、店の中に入るとタタキの奥に茶の間があるような間取りがほとんどで、中に暮らす人間の生活は急には変えられなかったことが窺える。なお、屋根裏部屋も敷地面積が狭いための苦肉の策であった。
その後次第に地方にも看板建築を真似た商店が造られるようになった。
このような建築のほとんどは名もない大工棟梁が建てたもので、学問的に考察されることはなかった。藤森照信(当時大学院生)が明治初期の擬洋風建築に通じる民間の系譜の建築として着目し、看板建築と命名して1975年の建築学会大会で発表した。当時はこのような不真面目な建物を対象にするとは不謹慎だなど批判の声もあったが、次第に用語として定着した。
看板建築は現在も神田、日本橋などの街角で見かけられるが、老朽化により急速に減りつつある。一部、野外博物館(江戸東京たてもの園)に移築されたり、登録有形文化財として保存されているものもある。