神山雄一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
神山雄一郎(かみやま ゆういちろう、1968年4月7日 - )は日本の競輪選手、自転車競技選手である。栃木県小山市出身。作新学院高等学校卒業。日本競輪学校第61期卒業。日本競輪選手会栃木支部所属。師匠は荒川博之。初出走は1988年5月8日、花月園競輪場。初勝利も同レース。血液型はB型。
目次 |
[編集] 競輪での戦績
デビュー以前より自転車競技の天才性を注目され日本競輪学校には技能試験免除で入学。1988年4月1日に選手登録。デビュー後も1989年の競輪祭新人王戦をあっさり優勝し、1990年の日本選手権競輪でも決勝に進出したので、ファンの多くに彼が特別競輪を取るのも時間の問題だと思わせたが、その後はなかなか特別競輪を取ることができず苦労の日々が続いた。1993年、ようやく地元の宇都宮競輪場での第36回オールスター競輪で優勝した時、感激のあまりファンの前で号泣しながらインタビューに答えたというのは有名な話である。
その後は、1995年に特別競輪を3勝するなど、トップレーサーの地位を不動のものにした。吉岡稔真と共に「横綱」と呼ばれ、宿命のライバルとしてたびたび死闘を演じた。そして、1999年3月30日に静岡競輪場での日本選手権競輪を制したことで、競輪界史上3人目、現行のGI6レース制となってからは史上初となる特別競輪全冠制覇(グランドスラム)を達成した。
特別競輪(GI)16勝は競輪界史上最多記録であり、特にオールスター競輪ではこれまで5回優勝と、もっぱら相性を良くしている。さらに地元の宇都宮競輪場では非常に強いことでも知られる。一方でKEIRINグランプリ(GP)にはこれまで13回出場し、1995年から1998年までは同一開催レース4年連続2着という競輪唯一(※)といえる成績を残しているものの、未だ優勝だけは果たしていない。
※公営競技全体ではJRAの横山典弘騎手が菊花賞で記録している。
[編集] 自転車競技での戦績
一方で、国内の競輪に出場するかたわら、積極的に世界選手権やワールドカップなど自転車トラックレースの世界大会に出場しており、1996年のアトランタオリンピックでは自転車の1kmタイムトライアルで7位入賞した。
しかし1999年のアジア大会において不注意によるドーピング違反で短期の出場停止処分を受けたが、その後も2000年のシドニーオリンピックでのケイリン競技や2002年のアジア大会でのチームスプリント競技に出場した。
[編集] 主な獲得タイトル
- 1989年 - 競輪祭新人王戦(小倉競輪場)
- 1993年 - オールスター競輪(宇都宮競輪場)
- 1994年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)
- 1995年 - 高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)、全日本選抜競輪(青森競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
- 1996年 - 寛仁親王牌(前橋競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
- 1997年 - オールスター競輪(平塚競輪場)、寛仁親王牌(前橋競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
- 1999年 - 日本選手権競輪(静岡競輪場)、オールスター競輪(甲子園競輪場)
- 2000年 - 寛仁親王牌(前橋競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)
- 2004年 - オールスター競輪(西武園競輪場)
- 2005年 - オールスター競輪(名古屋競輪場)
- 年間賞金王5回 - 1993年、1995年、1997年、1998年、1999年
- 年間獲得賞金2億円突破 - 1997年
[編集] 競走スタイル
テビュー当時からトップスピードと持久力を誇り、スプリント競技を行なっているためダッシュ力もあり、 他の選手を追走したり並走したりしても全方向に対する動きが抜群であったことから、全盛期は全ての面においてほとんどの選手を凌駕していた。また地元の宇都宮競輪場が500mであることから、直線が長く自力選手不利とされる500m走路においても強さを発揮している。
古舘伊知郎がGIの決勝戦中継を一時期担当していた時、実況中にその豪快な捲りから「捲り狼」、「太モモ四輪駆動」、「栃木(小山)のヘラクレス」といった異名を与えられた。
近年は年齢による脚力の衰えからかつてのような先行・捲りでの強さは影をひそめ、ごく最近ではほとんど追込・マークの戦法主体で戦うようになった。しかし、その位置取りやレース運びのうまさ、特に自分で動く選手の多いメンバーとなった時の「コマ切れ戦」での強さには定評があり、未だに実力も人気も高い選手である。