競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦(けいりんさいあさひしんぶんしゃはいそうだつけいりんおうけっていせん)は、小倉競輪場(現在は北九州メディアドームにある)で競輪がスタートしたのを記念して行われるGI競走で、ファンの間での通称は「小倉競輪祭」または単に「競輪祭」である。
目次 |
[編集] 歴史
1951年(昭和26年)11月21~26日に第1回が「競輪祭」として開催される。第1回の競輪祭を開催した時には既に各競輪場でも「競輪祭」のタイトルは使われていたが、小倉競輪場が競輪発祥の地である事を意識して通産省(現・経済産業省)が他競輪場では「競輪祭」のタイトルを使わぬよう通達を出した。
かつては毎年11月に「全日本新人王戦」(※)と「全日本競輪王戦」(トーナメント戦)の2本立てだった(そのため「全日本新人王戦」に出場する選手は「全日本競輪王戦」には出場できなかったことから、「全日本競輪王戦」には強力な先行選手が例年少なかった)が、2001年度からの競輪の番組制度改革に伴い前者は2001年から「ヤンググランプリ」として分離開催され、さらに競輪祭の開催時期が1月に変更(開催は2002年)となった。この開催時期の変更と同時に、朝日新聞社から社杯が授与されるようになり、それに伴い開催名称が現在の名称に変更された。
(※)かつては競輪王と同じくトーナメント制で、一時期優勝者に競輪王決勝戦の出場資格が与えられたこともあった。1999年に4日間開催となってからは一発勝負の方式となったが、2001年から前述のヤンググランプリに移行。競輪祭から外れた。
特別優秀競走はダイヤモンドレース。
なお小倉競輪場では2000年10月18日より、ほぼ通年でナイター競走(愛称 : スペースナイトレース)が実施されているが、ナイター競走の全国的な発売体制が不十分であることから競輪祭期間中は昼間開催となる。
近年の開催では実況アナウンサーのファン投票が行われ、その上位4名が競輪祭の実況を1日ずつ担当するという試みがなされている。
[編集] 出場選手選抜方法
競輪祭の出場選手は、以下の優先順位に従って選抜される。
- 前年のKEIRINグランプリ出走者(9人)
- 競輪王戦を過去3回以上優勝した者
- 共同通信社杯競輪の準決勝戦進出者(27人)
- 前々年11月~前年10月の期間内でヤンググランプリを除くGIIおよびGIIIの決勝戦1位回数上位者
- 前々年11月~前年10月の期間内でヤンググランプリを除くGIIおよびGIIIの決勝戦2位回数上位者
- 前々年11月~前年10月の期間内でヤンググランプリを除くGIIおよびGIIIの決勝戦3位回数上位者
[編集] 過去の優勝者
回 | 開催年 | 競輪王優勝者 | 新人王優勝者 |
---|---|---|---|
31 | 1989年(平成元年) | 波潟和男 | 神山雄一郎 |
32 | 1990年(平成2年) | 滝澤正光 | 柴原政文 |
33 | 1991年(平成3年) | 小橋正義 | 高木隆弘 |
34 | 1992年(平成4年) | 吉岡稔真 | 児玉広志 |
35 | 1993年(平成5年) | 吉岡稔真 | 澤田義和 |
36 | 1994年(平成6年) | 吉岡稔真 | 横田努 |
37 | 1995年(平成7年) | 神山雄一郎 | 金山英治 |
38 | 1996年(平成8年) | 神山雄一郎 | 太田真一 |
39 | 1997年(平成9年) | 神山雄一郎 | 手島慶介 |
40 | 1998年(平成10年) | 加倉正義 | 齋藤登志信 |
41 | 1999年(平成11年) | 小倉竜二 | 吉村和之 |
42 | 2000年(平成12年) | 神山雄一郎 | 加藤慎平 |
以下、開催時期を1月に変更。新人王をヤンググランプリに移行。
回 | 開催年 | 優勝者 |
---|---|---|
43 | 2002年(平成14年) | 山田裕仁 |
44 | 2003年(平成15年) | 山田裕仁 |
45 | 2004年(平成16年) | 小橋正義 |
46 | 2005年(平成17年) | 後閑信一 |
47 | 2006年(平成18年) | 小倉竜二 |
48 | 2007年(平成19年) | 山崎芳仁 |
[編集] 外部リンク
- 小倉競輪場(競輪祭とは)歴代優勝者を写真や映像で紹介している
特別競輪 |
---|
競輪祭 | 東西王座戦 | 日本選手権 | ふるさとダービー | 高松宮記念 | 寬仁親王牌 |
カテゴリ: 競輪 | 1月 | 朝日新聞社のイベント