管理教育
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管理教育(かんりきょういく)
管理教育(かんりきょういく)とは、学校(教員)が一元的に児童・生徒の在り方を決定し、これに従わせる様式の教育方法、ないしその方針である。
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[編集] 概要
これらの教育方法では、児童・生徒が学校の意思決定に参加しない。特に初等教育では、児童らに判断力が乏しく自律的に何らかの行動指針を決定したり、あるいは行事の計画を行ったりということは大人の助け無しには困難ではあるが、一般に中等教育よりは生徒会などの形で一定の自主的な管理・運営機関を設けて学校運営に関与する。しかし管理教育では、自主性をもって生徒らが学校の意思決定に参加できず、専ら教員の意向に従うことを求められる。
この中では、指導上でやむを得ないと考えられる範囲を超えた規則や罰則などを否定的に捉える上で「行き過ぎた管理教育」として問題視される傾向を含み、日本の戦前の教育全般をさしても使われる。ただし、戦前でも大正デモクラシーの時期に、児童の自主性・自発性を重視しようとする大正自由教育運動が盛り上がりを見せた。
これらは教育の中に「社会性を育む(協調)」が組み込まれ、個人の欲求や希望よりも、社会全体の統制が優先されることに適応させようという管理社会的な理念も在るが、同時にこれら生徒の主体性を否定し、ともすれば性悪説的な理念に基づいて、管理と統制が無ければ個人は社会の中では無価値だという発想も見て取れる。
戦後は、高度経済成長期の義務教育が、比較的管理教育の傾向が強かったとされる。当時の文部省としても、児童・生徒が協調性のある労働者に育ってくれることを望んでおり、教員たちも児童・生徒の団結力を培おうとしていた。その過程において、管理教育と批判される傾向が生まれた。こと管理教育として槍玉に挙がるようなケースでは、管理側の都合のいいように各々の個性を無視ないし否定するなどといった部分が殊更問題視される。
ただ管理教育が攻撃される一方で、無秩序な集団を見て見ぬふりをする放任主義的な姿勢に疑問を呈する声も無い訳ではなく、こと学生運動が学校占拠など集団暴力的な側面で社会問題化した時代や、校内暴力が激化した時代、あるいは学級崩壊という言葉が取り沙汰された時代には、こういった問題行動に対するアンチテーゼとして、管理教育ないし強権的な管理体制を支持する個人ないし団体も見られ、依然として教育の現場では試行錯誤的な混乱も存在する。
[編集] 管理教育的とされることのあるもの
以下に挙げるのは、過去の日本国内の教育で行き過ぎた管理として問題視されたり疑問が呈され、一部では撤回された管理内容である。こういったものの中には、事故や事件により負傷ないし死亡した生徒やその関係者が問題を提起して社会運動になったり、あるいは裁判で争われたケースも見られる。
- 遅刻を理由の如何によらず容認せず、徹底させる意図で危険行為を辞さない態度
- 生徒の意見を聴取せずに制定される校則
- 体罰の行使
- 朝礼、業間体育(全校統一授業 2時限目と3時限目の間に行われるためこの名がある)への強制参加
- 軍隊的な体育授業(集合時や準備体操時に大声を出すよう強制され、声が小さいとやり直させるなど)
- 運動会(体育祭)における組体操・ダンスでの1週間以上の練習、体罰や言葉の暴力も伴う厳しい指導を通して形成される統一された動き
- 校内生活(体育以外の座学授業)でのジャージ、体操服着用強制
- 課外(早朝、定時後)の学習強制
- 運動部活動の加入強制
- 高校野球(日本高等学校野球連盟)
- 礼儀作法の重視や服装規定などが、人権の観点から管理教育的とする見解もある。
- 学習指導要領への服従強要
- 教育勅語
この他、オートバイ(原付自転車)の禁止に絡んで運転免許の取得に厳しい罰則を設けることや、体質的な問題から頭髪などが校則に定めた色をしていないために髪を黒く染めることを強要したケース、禁止された物品の校内持ち込みをチェックする上で個人のプライバシーに関わるような部分にまで踏み込んだ所持品検査なども問題視された。これら問題視されたケースでは、個々の理由を無視して規則の徹底と画一化を押し通した結果として、実質的に問題とはなりえない生徒の排斥といった事態に至った事例も報じられている。
[編集] 管理教育と自治
学校生活においては、児童や生徒は社会に出る準備段階として、自らの集団を自治する活動が体験学習的に行われている。勿論初等教育では教員などに拠るサポートも行われるが、中等・高等教育では段階的により高度な自治権が与えられ、規則の策定や運用基準の判断、個々の事例に於ける判定などといった活動も行われる。過度の管理教育がなされている場では、こういった自治権は制限され、場合によっては何ら実権を持たない・単に上意下達的に命令を伝える場に成り下がっている場合もあり、そもそもそういった自治管理団体が存在しない場合すらある。
- 小学校
- 児童会がある。高学年の児童が役員を担当しているが、小学生段階では自律が困難であるからして社会参加の訓練もしくは自治活動の模擬体験という性質をもっている。教員が適切な指導・助言を行う必要がある。こららは学校側の意向を児童らに伝達する場であったり、特に重要ではない細々した校内や行事の決定事項を児童らに委ねるなどの活動を通して、自主性・自律性を育むものと位置付けられている。
- 小学生段階での意思決定訓練としては、児童会活動よりも、ゆとり教育の象徴的存在である総合的な学習の時間を活用したほうがより児童の発達に適合した訓練になるとも見られ、ことクラス内や班内での取り決めなど、様々なレベルでの意思決定活動への個人の参加を通して、各々が集団の中で意思決定に参加するという体験をすることも期待されよう。
- 中学校・高等学校
- 生徒会がある。ただし生徒の自治組織ではなく、あくまで教育の一環であり、生徒会が全会一致で決めたことでも職員会議で否決できる。児童の権利に関する条約以降、校則や制服に対する要望も学校が聞き入れる傾向にあり、生徒らの要望を集約して、学校側と交渉する立場を取る。1970年前後の学園紛争の時期も、生徒会の発言力が強まった。なお、この時期、千葉県立千葉高等学校の生徒会が廃止されるという事件が発生した。学年単位の級長会のような組織もあり、生徒会よりも顧問の教師の権威が強く生徒たちから最も恐れられていた場合もある。
- 校則の可否に関しては、学校側の意向が重視されるものの、生徒会内部で議論され、これが変更に追い込まれるなど大きな運動を起こすことも無いことではない。また行事などでは、全体の進行や運営に際して一定の自治権を発揮する校風をもつ学校も存在し、イベントの発案や各々の出し物の可否・調整などを行うケースも聞かれる。
- 大学
- 自治を持つ大学と持たない大学とに大きく分かれる。
- 自治を持つ大学の学生は、学生自治会は労働組合と同様に、学校当局側と対等に交渉できることが多い。これらでは施設運用の裁量権を持っていたり、或いは学内に存在する様々な集団の折衝・調停といった活動による自治運営も聞かれる。会報の発行などにより学校OBや入学希望者に情報提供を行うなどして、校外にまで一定の影響力をもつ大学も見られ、こういった自治運営が校風全体にまで影響を与えているケースもある。
- 自治のない大学は、学生自治会は存在しないか、あったとしても当局の助言と指導があった上のこととなる。
[編集] 管理教育の地域性
[編集] 千葉県
- 1980年代から90年代前半、「東の千葉、西の愛知」と呼ばれる管理教育の雄として有名だった。
- 特に松戸市、柏市などの東葛地域北部で校則が厳しく、野田市、流山市、我孫子市などでは全ての中学校で丸刈りを強制する校則があった。
- 体罰もしばしば問題になった。我孫子市のある中学校の生徒3人が、柏市内の喫茶店に置かれていた落書き帳に体育教師の悪口を書き込んだところ、同校の生徒が当該教師に密告し、書き込んだ3人は放課後に当該教師(「先生は時には裁判官であり、警察官であり教師なのだ」と発言)から殴る蹴るなどの激しい体罰を受けた[1]。また、柏市内のある中学校では「第2会議室」と称する部屋でしばしば体罰が行われ、生徒の間で「リンチ室」と呼ばれていた。
- 流山市のある中学校では修学旅行時、駅のホームで衆人環視の中、「集合の歌」と称して生徒全員に輪唱をさせていた[2]。
- 東葛地域北部の中学校では現在も、登下校時を除いて(体育以外の座学授業時も)学校指定のジャージを着用する。夏季(6~9月)は座学授業や清掃時には半袖の体操服とトレパンを着用する(ブルマーの廃止後は、体操服に短パンまたはハーフパンツで過ごす生徒も多い)。
柏市内の一部の小学校ではかつて、登下校時を除いて体操服、短パン、ブルマーを着用させた。このことへの慣れにより、中学校でのジャージ着用も抵抗なく自然と受け入れられた。 - 八千代市の小学校ではかつて、背番号をつけた体操服を着用し、2時間目と3時間目の間に軍隊的な「業間体育」が全児童に強制で行われていた[3]。市内の某小学校長が「『日本陸軍作戦要務令』の内容は指導の参考になる」と発言し物議を醸す。なお、「業間体育」そのものは鎌ケ谷市や我孫子市の小学校でもあったが、内容はなわとびや持久走、球技など通常の体育授業と変わらないもので、軍隊的要素はなかった(全児童への強制という点は同じ)。
- 中学校、県立高等学校の体育の授業は概ね軍隊的であった。船橋市や市川市、柏市などの公立中学校では、1990年代まで体育の授業や体育祭、課外活動において学校長・来賓に対しナチス式敬礼を強要していた(ただし学校長は答礼しない)。
- 学校によっては県民体操の「なのはな体操」を短期間に強制的に覚えさせられ、正確に出来なければ体罰が行われた。
- 船橋市の私立高校では現在も旧日本海軍で行われていた体操を自校体操と称し体育祭で披露している。尚同校では体罰や刈り上げ強制が日常的に行われていて問題になっている。
- 学校給食の指導も厳しく、無言で時間内に食べ終わることを強制する。担任教員にもよるが、給食時間に私語をすると「つばが飛ぶ」などと叱責されることがあった。また給食を残すことが許されず、放課後まで残してでも全部食べさせたり、給食を残した児童が教員に仰向けに押さえ付けられ、給食を口に押し込められることも起こった。これらは偏食(好き嫌い)をなくすためという大義名分があったが、トラウマにより好き嫌いをむしろ助長したり、時間内に食べ終えようとするため、よく噛まないで食べることが習慣化するといった弊害を生んだ。なお、千葉県は「三角食べ」(食べる内容の順序のきまり)強制の発祥の地とされる。
- 松戸市内の小学校では、校内全域の廊下と階段にセンターラインと横断歩道の白線が表示され、児童は廊下通行の規則に従わなければならず、違反者はその場で体罰を受けた。また、児童で組織される「交通安全委員会」が廊下の通行を監視し、規則違反者は発見次第、取り押さえて記録をし、その場で体罰を行使する権限を与えられていた。なお、松戸市には交通ルールを指導する市立の交通公園が設置されており、ここでも児童は安全指導を受ける。
- (松戸市内の公立小学校で実施されていた校内交通規則の一部) 1.廊下を渡るときは横断歩道を使うこと。そのとき一旦停止をし、手をあげて首を振って「右・左・右」を確認しなければならない、2.センターラインの右側を通行しなければならない、3.廊下を歩くときはなるべく手を後ろに組むこと、4.廊下を走ってはならない、5.違反をしたら交通安全委員の指示に従い体罰を受けること
- 正規のPTAを組織させないで学校長主導の保護者組織をつくり、管理教育や体罰を推進するための組織運営をする。
- 社会の流行を追うこと、社会に関心を持つことを禁止された。流行りの文具を使用禁止、流行歌を歌うことを禁止、ゲーム禁止、趣味の禁止など。
- 生徒が授業中にあくびをした原因が深夜放送であると発覚したところ、教員が家庭に乗り込んで来てラジオを没収、破壊した例もあった。
- 生徒を管理するために暴力的な生徒を教師が利用する一方で、見せしめとして苦情のこない生徒や大人しい生徒への執拗な嫌がらせや体罰を行う。
- 管理教育に対する生徒の不満が高まってくると、「こんなことが教育委員会にばれれば先生は教師を辞めなければならない。しかし君たちのためにやっているんだ」と教員が発言し、管理教育を正当化する説教がしばしば行われた。
- 学区制導入の当初は過剰な学区規制が敷かれ、一定の成績を持つにもかかわらず学区外の高校への受験を認められない事態があった。
- 公立の学校はかなり改善されたが私立高校などでは現在でも叩き棒で日常的に体罰を加えている場合があるため注意が必要である。
注
- ^ NHK取材班+今橋盛勝:『NHKおはようジャーナル 体罰』(日本放送出版協会,1986年)より
- ^ 上掲書『体罰』より
- ^ 森与志男:『校長はなぜ死んだか 「教育臨調」の先どり--千葉の「管理主義」教育』(あゆみ出版,1984年)より
[編集] 愛知県
- 三河地方を中心に(特に西三河地区)、一部の中学校と高等学校で比較的強いと言われる。当県の教育を象徴するのが「形から入る教育」という言葉である。
- 中学校
- 岡崎市、新城市、宝飯郡の一部の公立中学でかつて丸刈り校則が問題となった。
- 丸刈り校則だけでなく、他市町村への外出に教諭の許可を取って生徒の行動を監視している中学もある。
- 高等学校への進路指導も管理色が強く、尾張・三河の二大学区制の建前ながら、中学校が管理することで、中間成績層の生徒の進学先が所在中学校の周辺に制限され、所在中学校との交流の少ない高等学校への進学希望にクレームを付けられることがある。実際の学区制以上に高校進学が不本意に変更させられるケースも生じ、一部難関高と底辺高以外は二大学区制の建前が運用されていない。また、高校側でも旧豊田市内の高校が、北設楽郡出身の中学生を学区外入学でないにもかかわらず、ボーダーラインで不合格の対象として入学を規制したケースがあり、旧稲武町が北設楽郡から東加茂郡に郡を鞍替えする原因となった。
- 高等学校
- 県立東郷高等学校(1968年創立)で、「マル東訓練」(時間割表に「○に東」の記号で表されていた為この名がある)という軍事教練まがいの集団行動訓練が行われ、スパルタ式の代表校と批判を浴びることがある(1982年には訓練の強制を苦にして生徒が自殺している)。愛知県の管理教育実施校の代名詞とされており、愛知県立天白高等学校、愛知県立豊明高等学校とともに「3T」と称されていた。
- 東郷高校創立以降の新設県立高校も、東郷高校に類似した管理教育色の強い高校が多く、難易度下位の県立高校ほど、生徒の行動を厳しく規制する校則を採用している高校、厳しい規律の校風の高校が多い。
- 反面、旭丘高校、時習館高校等伝統のある難関県立高では校則が比較的緩い、自由を尊ぶ校風の高校が多く、「一種の学校階級社会を生んでいる」という意見がある。
- 入学試験で内申書を重視する点数配分から、上記の難関県立高の受験は15歳の春に事実上限られるため、新設県立高の管理教育が「過剰ともいえる地方国立大学への受験傾向を生む原因、名古屋に早慶上智や関関同立のような全国的に高い評価を得る私立大学が育たない原因」とする意見もある。
- 教育委員会が愛知県から独立している名古屋市は愛知県への対抗意識が強く、その影響か名古屋市立の高校は自由な校則、校風の学校が多い。
- 全体指導の際には「周りの高校よりも緩い」という言葉が多用される。しかしながら、教師が主張する「周りの高校」に該当する学校も愛知県立であり、比較は無意味である。
- かつては、こうした指導が社会人になって以降役立てられているという評価もあったが、学校・教師が児童・生徒の心身に対して干渉できる範囲を逸脱しすぎているという評価も根強かった。近年では、現場からのイノベーションが企業経営において重要視されるなど社会通念の変化によって、独創性のあまりにも欠けた労働者は歓迎されなくなり(指示を受けるまで動けない、“歯車の一個”以外に使い道がない)、前者の意見は一時の勢いを失っている。
[編集] 山梨県
- 90年代前半まで山間部を中心に丸刈り校則のある中学校が多数存在した。
- 校歌詠唱の際、声が小さい者がいた場合連帯責任で学年単位で居残りをさせられ、納得するまで歌わされる高校がある。また歌わない者に対しては全校生徒の前で糾弾され、ひきずり出されるケースもある。
- 中学・高校では年に1回強歩大会があり(甲府一高が有名。かつては小諸から甲府まで105kmを22時間以内に走破しなければならなかった。その他の高校でも40~50kmを決められた時間以内に走破しなければならないところが多い)、たとえ喘息持ちであろうとさせられるところもある。また部やクラスによっては制限時間より更に厳しい時間内に走破出来なかったり決められた順位内に入らなければ罰を受けることがあった。
そのため罰を恐れて無理なペースで走破しようとした生徒が途中で突然死するケースが続出した。 - 山間部の小学校では朝に全校生徒が学校の周囲を裸足で走らされるところがある。
[編集] 兵庫県
- 神戸や姫路、県北部、淡路島(洲本市を除く)の公立中学で丸刈り校則が問題になった。神戸は海軍、姫路は陸軍の伝統が強いためにこのような制度が取られていたとされるが、これは不登校の原因にもなった。
- 私立では神戸の六甲学院、播州では白陵高等学校も丸刈りを採用していた。一方で淳心学院高等学校など自由な校風を謳う学校も存在した。
- 1990年、神戸高塚高等学校で門限間際に登校しようとした生徒が、教諭が閉めようとした校門に挟まれて死亡する事件が発生した。
- 旧多紀郡(現・篠山市)のある中学校では、「自宅から電柱3本以上の外出は制服を着用」など、学校内外の生活について校則で細かく定めていた。
[編集] 長崎県
- 丸刈り校則の存在する公立中学校が多い(鹿児島県に次いで多い)。
- 青雲中学高等学校では「夜間行軍」と言う独自の軍事教練紛いの指導がある。
長崎県には旧陸軍第46歩兵連隊があったのでその伝統が残り長崎県立国見高等学校サッカー部での丸刈り義務付けと東京国立競技場での入場行進の際の軍隊調の行進方法は典型的である(丸刈り義務は茨城県立古河第一高等学校サッカー部でも同様だった)。
[編集] 南九州(熊本県・宮崎県・鹿児島県)
- 早朝、定時後、長期休暇中の強制学習で生徒を管理し、国立大学への現役合格者を多数あげることで有名な学校が、鹿児島県、宮崎県といった南九州に多い。鹿児島県立甲南高等学校が代表例である。但し、大学進学後、大学を留年・中退する生徒が多いことで問題視されるようになった。
なお、甲南高校の教育方針は、愛知県の五条高校、岐阜県の可児高校にも導入され、甲南高と同様、その管理色が問題視されることがある。 - 宮崎県では、高校になってもフルネームの名札を着用させるケースが多い。
- 熊本県、鹿児島県では現在も丸刈り強制の校則が存在する中学校がある(奄美大島、徳之島など)。
[編集] その他
- 戸塚ヨットスクール(愛知県美浜町)における体罰が社会的に取りざたされたこともある。ただ後に同スクールは暴行事件として幾つかのスクール生死亡・行方不明事件で有罪が確定した。しかし積極的推進派を含む体罰容認派の中には、同スクールの指導内容の如何に関わらず同スクールを支持ないし支援する者たちもいないではない。
- 中学の管理教育に反発して制服等を着用しなかった愛知県豊橋市の私塾経営者の息子兄弟が、教諭によって行動問題児とされたため、内申書評価のある高校進学を断念して、大学入学資格検定に挑戦。16歳で合格し、1982年に長男が東大理科III類、1983年に次男が京大経済学部、1987年に長女が京大文学部に合格したことが話題になった。ドラマ『中卒・東大一直線 もう高校はいらない!』の原案。
- この様な管理教育が徹底された県からは、芸術分野で優れた業績を残す者が極めて過少である問題も、依然として横たわっている。特に愛知県が深刻であり、複数の音楽大学を持つにも関らず、ここ数年は世界進出を試みた県民はいても、果たした音楽家はいない。
[編集] 参考文献
- 森与志男:『校長はなぜ死んだか 「教育臨調」の先どり--千葉の「管理主義」教育』 あゆみ出版,1984年,ISBN 4751920014
- 沢間俊太郎:『暴力教師を訴えろ! 父親の教育裁判奮戦記』 駒草出版,1991年,ISBN 4906082386