細谷勝彦
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細谷 勝彦(ほそたに かつひこ、本名: 細谷 國彦(ほそたに くにひこ)、1931年 - )は、ヤクザ、指定暴力団・二代目親和会総裁(初代会長)。
神戸で生まれ、16歳の時に両親の郷里である香川 高松に移った。それから間もなく、本多会会長・本多仁介の舎弟である高松の博徒・北原伝次郎(北原組組長)から盃を受け渡世入りした。その後、北原は市議会議員となり、北原の娘婿で2代目を継いだ柴田敏治も「第一次頂上作戦」真っ只中の1965年春に組を解散[1]し、政界に転身していった。
このため、二代目北原組の幹部だった細谷が34歳の若さながら残党を集め、1965年9月に「高松親和会」を結成。 若林組、中津川組など高松で活動する山口組系団体との抗争を繰り返す一方、1986年3月には三代目共政会会長・山田 久、侠道会会長・森田幸吉、波谷組組長・波谷守之の3人と、瀬戸内海に浮かぶフェリー上での「船上の4兄弟盃」を交わして平和推進にも貢献し、その独立を守り続けた。また神戸・二代目大日本平和会副会長で四国最強と言われた新居浜の至誠会会長・竹形剛の唯一の兄弟分でもある。
2005年10月5日、理事長・吉良博文に跡を譲り、総裁として後身を見守る立場となった。
[編集] 脚註
- ^ 二代目北原組の上部団体・二代目本多会(会長・平田勝市)も1965年4月に解散した。
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