藤本健一
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藤本 健一(ふじもと けんいち、3月31日 - )は、日本のドラム奏者である。愛称は「Kenken(ケンケン)」。三重県出身。高校卒業後、プロミュージシャンを志して上京し、音楽学校(ESPミュージカルアカデミー)に入校。卒業後の1994年、ZYYGのドラマーとしてデビュー。1995年の「ぜったいに 誰も」がヒット。1999年の解散後は音楽活動の幅を広げ、R&Bからプログレッシブ・ロックまで多彩なプロジェクトに参加している。また最近はZYYG時代の盟友後藤康二との共演も多い。
目次 |
[編集] 来歴
- 1994年- 高山征輝率いるZYYGに加入。後藤康二も同時期に加入している。
- 1994年– 栗林誠一郎がZYYG脱退。一時的に活動を休止。
- 1995年- 福岡県久留米市でのシークレットライブを機にZYYGに加藤直樹が加入。
- 1999年- ZYYG解散。同時に様々なセッション、サポート活動を始める。
- 2003年- R&B女性シンガー、Akashiのサポート開始。レコーディング、ライブに参加。
- 2004年4月26日- 「ck510 feat.響子」ライブにてZYYG解散後、後藤康二と初共演。後藤の招聘によるもの。
- 2004年6月12日- 永川敏郎率いるプログレッシブ・ロックの重鎮GERARDに加入し、初ライブ。
- 2006年2月11日- 高山征輝、後藤康二、加藤直樹と共にZYYGラストライブ「LIVE ROCKIN' HIGH Final-ONE AND ONLY MEMORIES-」に参加。
[編集] 人物
- 笑顔がトレードマークの好男子であり、ライブ中に見せるスマイルに黄色い声援があがることもしばしば。
- 鈴鹿サーキットの側が故郷であり、小学生の頃はレースを観戦していた。
- 読書が趣味であり、「青春の門」(五木寛之)や「コインロッカー・ベイビーズ」(村上龍)等を愛読している。
- ZYYG時代はメンバー中最年少であり(但しZYYGのメンバーは生年を公表していない)、メンバーから「もう少し大人になって欲しい」と言われたことがあった。
- ZYYGのタイトなリズムやGERARDのテクニカルなドラミングも難なく演奏し、テクニックはもちろん体力も相当なものであると思われる。
- 後藤康二と並んでZYYGにおける酒豪である。
[編集] 音楽性
- ジョン・ボーナム(レッド・ツェッペリン)、ジェフ・ポーカロ(TOTO)、トミー・リー(モトリー・クルー)等をフェイバリットミュージシャンに挙げている。
- 12歳頃からドラムを始める。
- ZYYG時代はツーバスをプレイし、元々タイトなZYYGのビートにさらに打音を倍化させる技巧者ぶりを披瀝していた。特に「ぜったいに 誰も」等の曲に見られる、最後のサビに際しての連打はライブにおける一つのハイライトであった。
- ZYYG時代はパワフルなドラミングの印象が強いが、GERARDでプログレッシブ・ロックにも挑んでおりテクニカルプレイもこなせる万能型ドラマーである。
[編集] エピソード
- カラオケでハウンド・ドッグを歌ったことがあり、自分ではそれなりと思っていたが高山に「すごく弱い」と揶揄された。
- ZYYGの「Dreamer」(2ndアルバム「Noizy Beat」収録)に強い愛着を抱いている。
- 最近のライブで後藤と共演する際は「すっかり仲が悪くて」等と軽口を飛ばし合うことが間々ある。
- セッションバンド「BaNaNa P@i」におけるプロフィールでは、スペイン・アンダルシア地方出身で、新宿のホストクラブで叩いていたことになっている。
- Sound Horizonの2006年中野サンプラザコンサートにて、自家製であると思われるアップルケーキを差し入れた。
[編集] 参加バンド
[編集] サポート
- Akashi
- アツミサオリ
- @ir
- Sound Horizon
[編集] 関連項目
[編集] その他
- 行列のできる法律相談所で「ご近所づきあいも、ほどほどにしてくれ!」の相談者がこの藤本健一をモデルにした。
[編集] 外部リンク
- Ken☆ken Web(藤本健一公式サイト)
- BaNaNaP@i Website(バナナパイ公式サイト)
- GERARD OFFICIAL HOMEPAGE(GERARD公式サイト)
- ZYYG OFFICIAL WEBSITE(ZYYG公式サイト)