ノート:連合艦隊 (映画)
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二度程この様な内容の書き込みがなされた後に削除されています。
『また、不自然な場面なども多い。財津一郎演じる小田切武市の最期は、身を犠牲にして、間断なき米軍の空襲(雷爆撃)で大ダメージを受けた大和の艦内で発生した火災により高温となった第三砲塔火薬庫の注水弁を開けるというものであったが、上から布切れを当てながら行ないさえすれば良いものである。当時の軍人が自己犠牲の精神に溢れていたとは言え、あまりに命を粗末にし過ぎる行動である。さらに英一が戦死した本郷家では、跡取りの男子が眞二だけになったのに、(結果的に沖縄への水上特攻へと向かう)大和への乗り組み異動の令状が出たり、レイテ沖海戦のパートでは、「母ひとり子ひとり」という家庭環境の中鉢二飛曹が、戦死するリスクの極めて高い戦場に送られたりするなど、理解に苦しむものがある。当時の常識から考えれば、家の跡取りとなる立場の者は、本人が特別に志願しない限り、本土内の軍事施設などでの勤務となり、最前線には送られないものである。戦争の悲惨さを語る上では効果的だが、多分に過剰な演出であり、後世の人物に誤った認識を与えかねない。』
まず小田切武市の最後に付いて、焼けた注水バルブを触って両手に火傷を負った後、被っていた略帽を脱ぎ当て布代わりにして注水バルブを回しています。また戦闘中の事であり、一刻を争う注水弁の開放を、火傷を負わない程の十分な当て布を用意するだけの余裕が現場で確保出来るのか?指摘に疑問があります。(むしろ映画で描写されていた武市の様に、己の負傷を顧みず帽子を当て布にして回すの普通に思いますが・・・)
跡取り息子が1人しか居ないのに戦死する可能性のある任務は命令されないとの指摘に付いて、戦争の前半では確かにその様な配慮がなされたという事実や資料が残っていますが、戦争後半になると兵士や将校側が異動命令を拒否したり、(人材不足のため)現場サイドであえて異動命令を出さなかった事が多くなった様です。映画に描写されている様に、1人だけの子息であっても、戦闘に参加して戦死した事例は沢山ありますし、その為に断絶になった家もあります。(豊田譲氏の書物にもその様な記述があります)