那覇市
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那覇市(なはし、琉球語ナーファ)は、沖縄本島南部の都市で、沖縄県の県庁所在地である。
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[編集] 概要
沖縄県(琉球諸島)の政治・経済の中心都市であり、また、那覇空港や那覇港を擁することから沖縄県の玄関口としての役割も担う。
面積は道府県庁所在地の中で最も小さく、人口密度が九州地方で最も高い地方自治体である。また、那覇空港が市域面積の8%以上を占め、自衛隊や在日米軍の施設や那覇港の港湾施設の分も考慮に入れると、実際の都市活動に使用できる面積は限られる。そのため、都市化に従って周辺自治体のベッドタウン化が進み、那覇市を中心市とする那覇都市圏の人口は約75万人(都市雇用圏-2000年)となっている。
市の中心部は国場川(漫湖)右岸の丘陵地に囲まれた平地に広がり、久茂地川などが流れる。周囲の丘陵地はほぼ全て市街化(主に住宅地)され、元々の地形の高低から立体的な都市景観を見せる。
観光面では、市の中心部の国際通り、市西部の高台にある首里地区の首里城(琉球王国の王府)が中心であったが、近年、市北部の在日米軍住宅地の跡地が那覇新都心として開発が進んでおり、2004年12月に世界最大規模の免税店であるDFSギャラリア・沖縄がオープンした。海に面しているが、那覇空港や那覇港などの施設が海岸線のほとんどを占めているため、海水浴場は平成3年に供用開始された波の上ビーチ(人工海浜)のみとなっている。名産品として壺屋焼や泡盛などがある。
[編集] 地理
沖縄県最大の島、沖縄本島南部の西海岸に位置し、東シナ海に面している。市中央部がほぼ平坦で、周辺部に小高い丘陵地帯が取り巻くように展開し、市内を東から西に国場川や安里川などが流れ、東シナ海に注いでいる。豊見城市との市境にある漫湖はラムサール条約に登録されている。
[編集] 歴史
那覇は国場川が海に注ぐところにある河口の港で、安里川河口の泊(とまり、現在は那覇市の一部)の港とともに、古くから沖縄の貿易港として、琉球王国の首都・首里の外港として、東アジアや東南アジア一帯の中継貿易拠点として栄えてきた。
かつて那覇は国場川・安里川の河口の湾に散在する島の一つであり浮島と呼ばれていた。尚巴志王によって整備され、小さな港であったが、尚金福王が1451年に明からの冊封使を迎えるため、中国人の懐機に命じて「長虹堤」と呼ばれる長さ1km に及ぶ堤道を建設させて沖縄本島の安里川側と繋いだ。陸路交通が整備されたことから港としての発展が始まり、那覇四町と呼ばれる市街地が形成された。
近くの久米村には中国・福建省などからの「閩(びん)人三十六姓」と呼ばれる移民が住み、これら三十六姓の末裔は、進貢使・通訳・造船など琉球の貿易と外交を支える仕事に従事してきた。
また倭寇などの襲撃からの防御のため、那覇港沖の海上にある島に城壁を築いて堤道を作り、国場川河口の那覇港の南北に防御用の砲台「三重城」(みえぐすく)「屋良座森城」(やらざもりぐすく)が完成した。同時に、那覇港の中央の島には御物城と呼ばれる貿易用倉庫が造られている。さらに那覇港の対岸にあたる南側の垣花などにも市街地や港湾が広がった。(那覇港の南岸は第二次大戦後更地になり、米軍の那覇軍港となっている。)
久米村、長虹堤、三重城など那覇の名所は中国人により「球陽八景」と謳われ、葛飾北斎の浮世絵「琉球八景」にも描かれているが、島だった那覇は土砂の堆積により琉球王国末期には本島につながっている。
- 1879年(明治12年): 沖縄県庁を設置。以降沖縄の行政の中心に。また、それまで那覇四町と呼ばれていた西・東・若狭・泉崎へ、新たに泊・久米・久茂地を編入。
- 1896年(明治29年): 沖縄県区制の施行により、那覇区となる。
- 1903年(明治36年): 島尻郡真和志間切から牧志村、小禄間切から垣花地区(湖城村と儀間村の一部)を編入。
- 1908年(明治41年)4月1日: 島嶼町村制施行に伴い、周辺の各間切が町村に。
- 1914年(大正3年): 島尻郡真和志村から壺屋、新規埋立地を旭町と命名し編入。
- 1921年(大正10年)5月20日: 特別区制を廃止し、市制を施行して那覇市となる。
- 1945年(昭和20年): 太平洋戦争での空襲および陸上戦(沖縄戦)により街が壊滅。首里城も破壊された。米軍の全面占領下となり、立入禁止に。
- 第二次大戦後
- 1945年(昭和20年)11月: 産業復興を名目として陶器製造産業先遺隊が壺屋へ入る。
- 1946年(昭和21年)1月3日: 糸満地区管内壺屋区役所が設置され、復興が本格化。その後、民政府などの中央機関が那覇へ移転。
- 1949年(昭和24年)12月9日: 米軍政官が「那覇を沖縄の首都とする」と発表。
- 1950年(昭和25年)8月1日: 島尻郡みなと村を編入。
- 1954年(昭和29年)9月1日: 首里市及び島尻郡小禄村を編入。
- 1956年(昭和31年): 立法院で首都建設法が制定され、琉球政府・沖縄の首都としての整備が開始される。
- 1957年(昭和32年)12月17日: 真和志市を編入。
- 1972年(昭和47年)5月15日: 沖縄返還により本土復帰。
- 1975年(昭和50年)4月1日: 中頭郡西原町の一部を編入。
- 2003年(平成15年): 沖縄における戦後初の軌道法による鉄道、沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開通。
[編集] 行政
[編集] 行政区画
市域面積の38.99km²に対して、人口密度は7,962.96人/km²で、都道府県庁所在地では東京特別区(13,196人/km²。2000年国勢調査)、大阪市(11,745人/km²。2000年国勢調査)、横浜市(8,129.03人/km²。2006年現在)に次いで第四番目に高い。
[編集] 市町村合併
- 1957年の真和志市編入以後、市町村合併は行われていない。ただし、西原町幸地の一部を那覇市に編入している。
- 2005年3月31日に南風原町・渡嘉敷村・座間味村・渡名喜村・粟国村・南大東村・北大東村との、周辺離島をも含んだ合併を目指していたが、2004年中に断念している。
[編集] 那覇市議会
議員定数44 現議員数43 欠員1
- 議長:久高将光(自民・無所属連合)
- 副議長:松田義之(公明党)
- 会派別構成
[編集] 警察
[編集] 国の行政機関
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 海外
- ホノルル(アメリカ合衆国ハワイ州)- 1961年(昭和36年)1月10日締結
- サンビセンテ(ブラジル連邦共和国サンパウロ州)- 1978年(昭和53年)10月23日締結
- 福州(中華人民共和国福建省)- 1981年(昭和56年)5月20日締結
[編集] 経済
[編集] 産業
第三次産業の割合が高い。その中でも小売業の床面積は、347,672m²と規模が大きい。また、市内に那覇空港があることから、ビジネス客や観光客の多くが那覇を訪れている。1998年、沖縄県を訪れた観光客412万人のうち、那覇の宿泊施設を利用した観光客は多く、中心市街地の国際通りでは、観光客相手の土産品店が立ち並び、常時観光客で賑わいを見せている。
[編集] 本社を置く主な企業
- 沖縄県内に地盤を置く会社や、本土企業系列の地域会社がほとんど。
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[編集] メディア
[編集] 新聞
- 那覇と全国紙
朝日新聞や読売新聞などの東京系全国紙は、輸送事情により、朝刊配達が午後に行われる。そのため那覇は元より、沖縄県内では殆ど販売されていない。このため、全国紙は、那覇には「那覇支局」ではなく、「政治部那覇駐在」などとする扱いが多い。
[編集] 放送局
[編集] 地域
- 市役所本庁舎以外に、1954年と1957年に2市1村を併合する前の旧市村ごとに、那覇市役所真和志支所、同首里支所、同小禄支所の3支所を設置している。基本的に那覇市はその4地区に区分できるが、那覇新都心が開発されてからは同地区も含めて5つの地域に区分できる。
那覇市内の地名は以下の通り。(★印は住居表示実施地区。△印は無住地域。)
[編集] 本庁管内
大部分は1954年以前から那覇市であった地域。その後埋め立てにより区域が拡大。
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- 安謝(あじゃ)1~2丁目★
- 天久(あめく)1~2丁目★
- 上之屋(うえのや)1丁目★
- おもろまち1~4丁目★(おもろ町と表記するものがあるが正式にはすべて平仮名表記)
- 銘苅(めかる)1~3丁目★
[編集] 真和志(まわし)支所管内
旧真和志市。戦後、不規則な宅地化が進んだ。
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[編集] 首里(しゅり)支所管内
旧首里市(1921年、那覇市と共に市制施行)。那覇市との合併時から、古都・首里の名を残そうという地元住民の強い願いがあったため、この地域の町名の頭には現在も「首里」の名を冠する。なおここでは「首里」の振り仮名を省略する。
なお、全域住居表示が実施されていない地域である。
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[編集] 小禄(おろく)支所管内
旧小禄村
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[編集] 健康
平均年齢:39.1歳
[編集] 医療
与儀にあった沖縄県立那覇病院は南風原町に新設された沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに統合され、泉崎にあった泉崎病院はおもろまちメディカルセンターとして上之屋に移転した。沖縄県立那覇病院の跡地には現在古波蔵にある沖縄赤十字病院が移転する予定である。
- 那覇市立病院(古島2-31-1)
- 日本赤十字社 沖縄赤十字病院(古波蔵4-11-1)
- 特定医療法人葦の会 オリブ山病院(首里石嶺町4-356)
- 医療法人天仁会 天久台病院(字天久1123)
- 医療法人禄寿会 小禄病院(字小禄547-1)
- 医療法人社団輔仁会 田崎病院(字松川319)
- 医療法人新西会 西武門病院(東町5-22)
- 医療法人おもと会 大浜第一病院(安里1-7-3)
- 医療法人寿仁会 沖縄セントラル病院(与儀1-26-6)
- 医療法人祥杏会 おもろまちメディカルセンター(上之屋1-3-1)
- 医療法人陽心会 大道中央病院(字大道127)・大道リハビリテーション病院(安里1-468-59)
- 医療法人はごろも会 仲本病院(古島1-22-1)
[編集] 福祉
- 社会福祉法人沖縄県社会福祉協議会 沖縄県総合福祉センター(首里石嶺町4-373-1)
- 社会福祉法人那覇市社会福祉協議会 那覇市総合福祉センター(金城3-5-4)
[編集] 保健
[編集] 衛生
- 那覇市・南風原町環境施設組合(市に隣接する南風原町新川にごみ処理施設等がある)
[編集] 学校
[編集] 小学校
※銘苅小学校は、2005年4月、那覇市銘苅二丁目に新たに開校。
[編集] 中学校
[編集] 高等学校
- 公立
- 私立
[編集] 大学・短期大学
[編集] 交通
中心市街地では、戦後スプロール現象によって十分な都市基盤整備がされないまま無秩序な市街化が進んだ為、ほとんどの道路が幅員12m以下であり、慢性的な交通渋滞を起こしている。特に、国際通りやその他幹線道路の機能を補完する道路がほとんど無く、あるいは幅員が狭い区間が多い為、国際通りやその他幹線街路に余計に負担が掛かっている。 また、中心市街地における駐車場の小規模さも課題の一つであり、改善が急がれている。
[編集] バス
沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開通した現在でも、主な公共交通機関はバスに偏っている。特に中心市街地に於けるバス交通量は非常に多い。1997年の交通センサスによると、国際通り周辺は1日1500~1600台のバスが通過しており、交通渋滞の一因ともなっている。
[編集] 鉄道
戦前は沖縄県営鉄道の与那原線、嘉手納線、糸満線と沖縄電気の路面電車が市内を走り、沖縄軌道と糸満馬車軌道も市内に乗り入れていたが、戦前に廃止され、あるいは沖縄戦で木っ端微塵に破壊されてしまい、戦後も米軍統治下の沖縄で再び敷設されることはなかった。
しかし、2003年8月10日、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)が開通し、沖縄に再び軌道交通が蘇った。
[編集] 道路
[編集] 高速道路
- 市内に所在するのは、これに接続する一般道である沖縄県道82号那覇糸満線の那覇IC交差点付近のみで、料金所は南風原町にある。那覇都心部からは西原ICを利用した方が便利な場合もある。また那覇市は全国の県庁所在地で唯一高速道路の本線車道が通っていない都市。
[編集] 国道
[編集] 県道
- 一般県道
- 沖縄県道236号玉城那覇自転車道線(「沖縄のみち自転車道」・予定)
[編集] 空港
[編集] 港湾
[編集] 観光
[編集] 観光
[編集] 祭り
[編集] 出身有名人
[編集] 学界
[編集] 芸能
[編集] 芸術
[編集] スポーツ
[編集] 郵便・電話
[編集] 郵便番号
市内には那覇中央、那覇東、首里の3つの集配郵便局があり、那覇中央は本庁管内(旧那覇)と小禄地域と真和志地域の一部、那覇東は真和志地域(一部を除く)、首里は首里地域をそれぞれ管轄している。那覇中央郵便局は復帰後一時期「那覇郵便局」の名称だった時もあった。郵便番号は以下の通りとなっている。
- 那覇中央郵便局:900-00xx、901-01xx(大口事業者は900-85xx、900-86xx、900-87xx、901-019x)
(901-01はもともと小禄郵便局が集配業務を行い管轄していたが、1997年に那覇中央郵便局に集約した) - 那覇東郵便局:902-00xx(大口事業者は902-85xx、902-86xx、902-87xx)
- 首里郵便局:903-08xx(大口事業者は903-85xx、903-86xx、903-87xx)
[編集] 電話番号
復帰前は市外局番が08(隣接する当時の豊見城・南風原両村も同じ局番だった)で、2~5と8の5つの1桁の市内局番が存在していた(当時の那覇市内の電話番号表記はほとんどが市外局番の08を省略していた)。復帰前年の1971年にこれまでの市内局番の頭に1桁増やし2桁となった(2~4は頭に3がついて32~34、5は55、8は68にそれぞれ変更)。復帰と同時に市外局番が0988となり、数年間で半分以上の地域の市内局番が変更された(市西部は60番台、小禄は57~59、首里など市北東部が84~87に変更)。そして1990年12月には市外局番が現在の098に変更され、これまでの市外局番の末尾だった「8」が市内局番の頭となり3桁化された。0988時代は那覇市のほか隣接する浦添市・南風原町・豊見城村のみだったが、098になった後は恩納村・宜野座村以南の沖縄本島中南部全域と周辺離島(久米島・慶良間諸島・粟国諸島)も同じ市外局番となり、沖縄県内の大半がこの市外局番のエリアとなった(単位料金区域が同じ那覇MAであるため)。沖縄県内向けには那覇市も含めこれらの地域の電話番号を紹介するとき、市外局番の098を省略することが多い(テレビやラジオでも省略する)。逆にエリア外である名護市以北の本島北部や先島諸島では市外局番が0980であるため「0980-xx-yyyy」と電話番号表記するところを間違って「098-0xx-yyyy」と表記する場合も時々ある。
那覇市内の市内局番は3桁化後、8から始まっていたが、1990年代後半から「941」や「951」といった9から始まる市内局番も出てきている(逆に糸満市や南城市などの本島南部では9から始まっていたが、8から始まる市内局番が出てきた)。
[編集] 余談として
- “那覇(なは)”の語源は、漁場を表す“なふぁ”からきている。(ちなみに“沖縄”も同じ“漁場”が、語源となっている。)
[編集] 外部リンク
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