鉄砲洲川
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鉄砲洲川(てっほうずがわ)は現在の東京都中央区を流れていた水路である。「鉄炮洲川」とも書かれる。
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[編集] 歴史
寛永頃に開削された堀割といわれている。関東大震災前後頃に埋め立てられたそうである。
[編集] 地理
今の地名でいうと湊2丁目12,13番地、湊3丁目5~11,14,15番地、明石町3~9,12番地の間を流れていた。この頃の中央区は縦横に掘割が流れていて、鉄砲洲川もその一つである。隅田川から明石町の水路(明石堀)へと繋がっていた。
[編集] 鉄砲洲川に架かっていた橋
隅田川側から。
- 鉄砲洲橋(鐵炮洲橋と書かれていた)
- 小橋
- 見当橋(みとめばし)(見富橋とも書かれる)
- 浦堀橋
- 新湊橋