長谷川岳
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長谷川 岳(はせがわ がく、1971年 - )は、日本の社会起業家、会社役員。愛知県出身、
愛知県立千種高等学校、北海道大学経済学部卒業。大学在学中、兄のいる高知県を訪ねた際によさこい祭りと出会い、1992年、学生仲間とともに北海道のソーラン節と結合させたYOSAKOIソーラン祭りを開催した。 1996年、衆議院議員総選挙に北海道一区から無所属で立候補するが、32019票で落選。
YOSAKOIソーラン祭り組織委員会専務理事。株式会社yosanet(登記名:よさねっと)取締役を兼務。 「日本イベント大賞新テーマ賞」「サントリー地域文化賞」「日本生活文化大賞 生活文化賞」などを受賞。
ニックネームは「岳っくん」「岳ちゃん」。
[編集] 経営哲学
「町おこしのカリスマ」として祭り上げられ、全国の自治体などで講演活動をする長谷川は、YOSAKOIソーラン祭り(以下、ヨサコイと略す。)の運営者に投げかけられる商業主義の批判に対して、NPO(非営利組織)はそもそも自主財源によって成り立っていると主張する。故に組織委員会という非営利活動のみでは運営に限界があり、株式会社(よさねっと)設立は理に叶っているものと考えている。
他方で「非営利活動はビジネスの苗床」とも主張し、参加者への登録費用から、指定業者利用の奨励、公式グッズの独占販売権に至るまでの「YOSAKOI商法」ともいえる経営手法はまさに驚愕に値する。
しかし、ヨサコイの規模が大きくなるにつれて、当然開催費用もかさむようになり、2001年度の赤字額は1800万円にまで膨らんだ。2002年度以降の赤字額は圧縮できるとしていたが、自治体からの補助金や企業からの賛助金を受けているにもかかわらず、組織委員会の経理は原則非公開で長谷川を含めて数名しか知る者はいない。
[編集] 巨大化とワンマン運営
発足当時、ヨサコイは学生実行委員会5名を中心とした手弁当での活動だった。警察との折衝、自治体、企業への支援を求める活動など、それを精力的にこなす長谷川は周囲の信頼を集めていた。ヨサコイ参加者が急激に増加してからのイリュージョンに代表される大規模化は、それまでのイメージを払拭した。
規模が大きくなれば、大きな金が動く。このことが徐々に長谷川の心を変えていったと見る向きがある。また、実行委員会5名に各役割を決めてスタートした以降、会議・議論は行われていない。長谷川が当時大学でNPOを専攻しており、そのなかで、ピーター・ドラッカーの「何をやりたいかを明確にした後は、会議などするな」という言葉を信条として取り入れたためである。いわばワンマン運営だが、これが長谷川の行動の原動力となった。ところが、この強引なやり方について行けなくなった実行委員会のうち4名が脱退し、長谷川は新たに実行委員会を立ち上げて107名で再スタートした。
しかし、巨大化とワンマン運営の弊害は、第5回の学生実行委員会幹部10人のうち7人が留年、さらに2人はノイローゼ気味にまでなるという事態で表面化した。さすがにまずいと思った長谷川は、学生実行委員会を縮小、組織委員会への改変と法人化(よさねっと)へ向かう。
現在活動を共にしているのは、よさねっとの社員だけである。著書(YOSAKOIソーラン祭り―街づくりNPOの経営学、岩波アクティブ新書、坪井善明・長谷川岳共著)からは、その心境の変化を読み取ることもできる。
[編集] 政治への傾倒
その長谷川だが、ヨサコイを利用して政治的に動いてきた。 その一つが、第1回のヨサコイ開催当日に、横路孝弘北海道知事(当時)と橋本大二郎高知県知事の対談を仕掛けている。当時、この「改革派」を自称する若手知事同士の対談は、北海道新聞で特集を組まれるほどの反響だった。これには学生実行委員会から反対意見が噴出したものの、会議に出ないことが信条の長谷川が仕切ってしまっては後の祭りだった。
二つに前述の衆院選への立候補である。ヨサコイで名が売れたところに相田みつを風の選挙ポスターをもって「町おこしのカリスマ」としての実績をアピールするものの、あえなく落選している。長谷川には、ヨサコイを通じて政治家としてデビューするのか、あるいは発言を強めたいのかは不明だが、政治参加に関し何らかの意図があるものとも思われる。
もともとヨサコイ自体、長谷川自身が踊るわけではない。踊るのを見ることが目的の「祭」として、それをプロデュースするのが長谷川の目的であるからだ。そのヨサコイを始めるに当たって「街は舞台だ 日本は変わる」というスローガンを立てた。このスローガンから見てもわかるとおり、メインは「日本は変わる」にある。ヨサコイを通じた政治活動といえば大げさだが、ヨサコイを実施するにあたって行政の協力は欠かせない。衆院選立候補までは、直接の政治活動よりも、各方面とのパイプを造り、そこから関係および影響力を強めてきたと言える。現に各地方の「町おこし」にヨサコイが利用され、ヨサコイの「発起人」である長谷川が自治体などの講演会に招かれていることも、その一例と見ることができる。
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