雨の嵐山
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雨の嵐山 | ||
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長渕剛 の シングル | ||
リリース | 1977年5月21日 1988年5月21日(再発) |
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ジャンル | ポピュラー | |
時間 | 8分43秒 | |
レーベル | ビクター・レコード | |
長渕剛 年表 | ||
雨の嵐山 (1977年) |
巡恋歌 (1978年) |
雨の嵐山(あめのあらしやま)は、日本のミュージシャン、長渕剛のデビューシングル曲である。
1977年5月21日にビクター・レコードよりリリースされた。
その後、1988年5月21日にCD化されて再リリースされた。
長渕剛の幻のデビュー曲。切ない男女関係を歌い上げたラブソングで、アレンジは琴の音色などが入り、演歌を思わせる仕上がりになっている。
[編集] 解説
地元である鹿児島で吉田拓郎のライブを見て衝撃を受けた長渕は、漠然とギターを手に取り歌を作り始める。それはいつしか、吉田の様なフォークシンガーになりたいという夢へと代わり、福岡に位置する後に数々のミュージシャンを輩出した伝説のライブハウス、照和にてステージに上がるようになる。
プロのミュージシャンを目指し始めた長渕は、憧れであった吉田が井上陽水や泉谷しげる、小室等らとともに設立したフォーライフ・レコードに自らの楽曲を送る事を決意する。その際、なるべく良質な音でレコーディングをしようと、福岡のとあるスタジオでレコーディングを開始する。そのスタジオでは、あくまでヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場する予定の者だけ無料でのレコーディングが許可されていた。しかし長渕は、「コンテストは一曲か二曲で決められてしまう。フォークとは一曲、二曲で決められるものではない」とポプコンに対して批判的であった。その為、ポプコンに出場する意思はないが、それを隠しレコーディングの許可を得ていた。
レコーディングは順調に進み、憧れのフォーライフ・レコードに作品を送るが全く返答がなく、やがてポプコンの時期が近づいて来てしまい、スタジオのスタッフは当然長渕が出場するものとして話を進め、大恩あるスタッフに敬意を表する為、ポプコン出場を決意する。ポプコン出場に際して選曲する中で、スタッフがこの『雨の嵐山』を絶賛し、長渕曰く「横道に反れた曲」というように自分の意に反する曲であったが、スタッフの思いを無碍に断る事も出来ず、この曲での出場を決意する。
ポプコンではこの『雨の嵐山』によって九州大会でグランプリ、つま恋での本選会ではレコード会社協賛社賞を4社から受け、ビクター・レコードと契約。無事にレコードデビューを果たした長渕だったが、レコード会社からはフォークシンガーとは認めてもらえず、「ナガブチ・ゴウ」の名で演歌・歌謡曲の路線で売り出され、レコード店周りやデパートの屋上でアイドルの前座などを務める事となる。この活動に疑問を感じた長渕は、新人としては売上げの悪くは無かったこの曲を捨て、全てを白紙に戻し九州へと引き返す事になってしまう。
このような経緯から、この曲は今までのどのアルバムにも未収録であり、また公式HPでもデビュー曲は『巡恋歌』となっており、全く触れられていない。しかし、「長渕剛全曲集」などのスコア本などにはB面の「わたし春を待ってます」とともに掲載されていることも多い。
[編集] 収録曲
- 雨の嵐山
(作詩・作曲:長渕剛 / 編曲:船山基紀)- 長渕にとっての初めてのレコード化音源であり、記念すべきデビュー曲であるが、本人の歴史上からは抹消されている。この曲に関しては、レコード会社主導で全てが進められ、長渕がスタジオを訪れた時はアレンジも含めてほぼ全てのレコーディングが終了しており、長渕は歌入れを行っただけである。アレンジ面では琴の音色が入れられ、一聴したところでは演歌とも思われるような曲調になっている。
- わたし春を待ってます
(作詞・作曲・編曲:長渕剛)- 長渕によるギターとハーモニカのみで歌われた楽曲。A面曲に比べると、フォークソングに近い解釈の楽曲で、後の長渕の作品を思わせる仕上がりになっている。
[編集] 外部リンク
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