鵜殿長照
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鵜殿 長照(うどの ながてる、生年不詳 - 永禄5年(1562年))は、日本の戦国時代の武将で、駿河の戦国大名今川氏の家臣。鵜殿長持の子で鵜殿氏長、鵜殿氏次の父。通称、蔵太郎。長門守。
三河宝飯郡の上郷城城主。母は今川義元の妹であり、今川家の親戚として重用された。1557年、父の長持が死去し家督を継いだ(ただし長持の没年は1562年とする説もある)。1560年の桶狭間の戦いでは、その前哨戦で織田氏方の大高城を落城させるという武功を挙げ、大高城の守備を任された。しかし義元が織田信長に討たれると、本領の三河に逃げ帰っている。
義元の子で、今川氏の次なる当主となった今川氏真は武略に欠けた人物であったため、今川氏の支配が弱まった三河では松平氏が台頭。多くの領主達が松平家康に味方する中、鵜殿氏は今川家の縁戚であったことから今川方に留まった。ただしそれは、今川氏との密接な間柄を保持する上郷城の鵜殿総領家だけであって、下郷城を有する分家などは家康の味方に転じていった。やがて、清洲同盟を結んで織田氏方に与した松平氏と対立すると、1562年に家康の攻撃を受け、戦死した。この戦闘で子の氏長と氏次は捕らえられ、駿河に人質となっていた家康の妻子との交換に利用された。
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