731部隊
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731部隊(ななさんいちぶたい)とは大日本帝国陸軍の関東軍防疫給水部本部の事。関東軍管轄区域内の防疫・給水業務を行うことを目的に設置された。細菌・化学戦研究の為に生体解剖などを行ったとされている。初代部隊長の石井四郎(1892年 - 1959年、陸軍軍医中将)に因んで石井部隊とも呼ばれる。
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軍組織における位置
731部隊は日中戦争から太平洋戦争中にかけて発足した旧日本軍のBC戦(生物・化学兵器)研究機関「軍医学校防疫研究室」の下部組織である。
当時からその特殊性よって機密性が非常に高い組織であった事、また終戦後のアメリカ軍との取引により関係者の多くが研究成果を引き渡す事を条件に罪不問に付され、戦後医学界の中枢を構成した経緯などから情報が不足し、実態は不明のままであった。近年になり徐々に情報が発掘され、ある程度の全貌が判明してきている。
従来、731部隊は旧軍の細菌戦部隊の中核研究機関のように言われてきたがこれを誤りとする研究者も存在する。この主張によるとBC戦の研究組織の中枢は当時新宿にあった陸軍軍医学校防疫研究室(または陸軍防疫給水部、この組織は陸軍軍医学校と陸軍参謀本部の両方に指揮系統を有しており、前者による呼称が研究室、後者による呼称が防疫給水部)である。ここを中核として、当時の旧軍展開地域各所に設置された各部隊(平房の大陸本部、北京の甲1855部隊、南京の栄1644部隊、広東の波8604部隊、シンガポールの岡9420部隊など)に指令が出され、さらに国内大学医学部のバックアップの元で広大なネットワークを構成してBC戦術の組織的な研究・開発を推進していた。
731部隊はそれらの部隊中で最大級の設備を有してはいたが、その中心ではなく実験・検証施設であったにすぎない。731部隊は表向き日中戦争時の1941年に各種流行性伝染病予防と兵員用の飲料水の水質浄化を目的として、関東軍が建国した満州国のハルピンに配備された。731部隊で実施された内容は各部隊の中でも特殊なものであり、人間の生体を用いて非倫理的な実験が行われたと言われている。
陸軍参謀本部指揮下の『満州第731部隊』は関東軍防疫給水部本部を表す通称号であり、秘匿名の性格を持っていた。各支部などをまとめた関東軍防疫給水部は「満州第659部隊」と称した。
部隊の活動
731部隊は捕らえた多くの中国人、モンゴル人捕虜等をマルタ(丸太)と呼称し、人体実験・生体実験に供したと言われている(「悪魔の飽食」による。この書物の真偽はここでは問わない。)。終戦後にソ連・中国が行なった調査では、犠牲者数は3000人以上とも推定されている。 毒ガス・細菌兵器等の使用は国際条約で禁止されていたが、のちに同部隊の部隊長となる石井四郎は、軍事技術研究のために欧州各国を周遊後、それらの有効性(特にそのコストパフォーマンスに関して)に注目し、帰国後に化学兵器や細菌兵器が日本にとって有用であるとし軍部に働きかけ、防疫研究室設置された。
一方、BC戦術を使用する側にとっての観点において防疫活動が重要な要素であり、一般戦術においても有用であることから、これを主に軍内部のおいての名目とし、防疫給水部の名称で組織が発足することになる。表向きの看板とは言え、防疫活動は防疫給水部の重要な研究要素であり、731部隊においても防疫活動研究班が設置され成果を挙げている(石井式濾水機は実際に部隊運用されることになる)。
終戦・米軍との取引
1945年8月、ソ連軍が満州に侵攻すると、撤収作戦が実施され731部隊はその施設のほとんどを破壊して徹底的な証拠隠滅が図られた。軍事機密を敵国に渡さない為の通常措置であるとする意見もある一方、一刻を争う、撤退戦において、徹底的な破壊が必要とされるほどの機密であった理由も論議となっている。この時収容していた捕虜は全員殺害されたとされる。
731部隊の情報を欲した米軍は、石井四郎をはじめ731部隊の幹部との間で、731部隊が行った人体実験のデータを提供する代りに731部隊を法廷で裁くことを免除したとされている。東京裁判においても731部隊の関係者は誰1人として裁かれていない。取引の際に防疫研究室の実態は隠され、施設として目立つ731部隊を囮として使う事によって防疫研の研究ネットワークの実態、そしてその成果であるBC戦術の最重要情報(これは図らずも、当時最高の医学的成果に他ならなかった)の秘匿が計られた。米軍からの追求を十分予測していた石井四郎は、予め731部隊での成果の一部を引き渡す事で研究の全貌を隠匿することに成功したと言われている。またこの対米工作には石井四郎の右腕とされた内藤良一があたったと言われる。
戦後の批判・医学会への影響
前述の撤退における資料隠滅、ならびに対米工作時の処理のため、731部隊に関する一次資料はほとんど存在していないとされていた。関係者(その多くは旧軍に所属あるいは関係していた日本人、前述の通り組織的な撤収が行われたため、満州の旧軍機関としては例外的に帰還率が高い)の証言であった。近年になって、除々に各種資料が発見され、全貌の究明が進みつつある。
中国などで公開されている731部隊とされる写真の多くは医学的に不可解な行為をしているものがみられる。これらの中には無関係な写真を無理に関連づけたいわば偽物も数多くあり、否定論の根拠とされることも多い。実際、これらの写真を掲載していた『悪魔の飽食』の出版元である光文社が指摘を認め、当該書籍を絶版としたが、該当写真を削除後、異なる出版社より復刊された(この際、内容に修正が加えられた事が論議を呼んだ)。
戦後、ペスト・コレラ・性病などの生物兵器、糜爛性・腐食性の毒ガスを用いた化学兵器の研究に携わっていた特殊部隊であったと、ロシア国内で行われたハバロフスク裁判で認定されている。この裁判についてはその真実性を否定的に見る意見がある。
石井四郎が京都大学医学部の出身であったように、731部隊をはじめとする生物化学兵器研究の研究者は、国内の最高学府を卒業した者が多かった。これらの研究者のほとんどは戦後になって大学医学部へと戻り、日本の医学会において重鎮となった為、医学会には731部隊についてタブー視する傾向が強かったが、近年になり旧幹部の引退などに伴い除々に弱まって来ている。また、薬害エイズ事件において被告となった企業ミドリ十字の創始者は石井四郎の片腕内藤良一であり、731部隊隊長を一時務めた北野政次を顧問としていた。
関東軍防疫給水部の構成
関東軍防疫給水部長
- ※1940年8月23日まで関東軍防疫部長
- ※階級は就任時
- 石井四郎 軍医中佐(1936年8月1日~1942年8月1日)
- 北野政次 軍医少将(1942年8月1日~1945年3月1日)
- 石井四郎 軍医中将(1945年3月1日~終戦)
防疫給水部本部(満州第731部隊)
- 総務部
- 副官室
- 調査課
- 翻訳班
- 印刷班
- 写真班
- 兵要地誌班
- 調査班
- 図書班
- 人事課
- 庶務課
- 労務班
- 庶務室
- 食堂
- 酒保
- 学校
- 企画課
- 経理課
- 管理課
- 建設班
- 工務班
- 動力班
- 運輸班
- 電話班
- 軍需課
- 第一部(部長:菊池斉/細菌研究)
- 第一課(チフス)
- 田部班(班長:田部井和/チフス研究)
- 第二課(コレラ)
- 湊班(班長:湊正男/コレラ研究)
- 第三課(生理・マルタ管理)
- 吉田班(健康診断)
- 宮川班(レントゲン)
- 在田班(レントゲン)
- 栗秋班(薬理)
- 草味班(班長:草味正夫/薬理研究)
- 石井班(捕虜入出管理)
- 蓬田班(捕虜入出管理)
- 志村班
- 特別班(特設監獄)
- 第四課(赤痢)
- 江島班(班長:江島真平/赤痢研究)
- 第五課(ペスト)
- 高橋班(班長:高橋正彦/ペスト研究)
- 第六課(病理)
- 石川班(班長:石川太刀雄丸/病理研究)
- 岡本班(班長:岡本耕造/病理研究)
- 第七課
- 第八課(リッケチア)
- 野口班(班長:野口圭一/リケッチア・ノミ研究)
- 第九課(水棲昆虫)
- 田中班(班長:田中英雄/昆虫研究)
- 第十課(血清)
- 内海班(血清研究)
- 小滝班(ツベルクリン)
- 第十一課(結核)
- 所属課不詳
- 第一課(チフス)
- 第二部(実施研究)
- 八木沢班(班長:八木沢行正/植物菌研究)
- 焼成班(爆弾製造)
- 気象班
- 航空班
- 無線班
- 田中班(昆虫)
- 篠田班(昆虫)
- 安達実験場
- 第三部(防疫給水)
- 庶務課
- 第一課(検索)
- 第二課(毒物検知)
- 第三課
- 濾水班
- 給水班
- 運輸班
- 工作班(濾水機)
- 濾水機・弾筒製造窯
- 第四部(部長:川島清 軍医少将/細菌製造)
- 教育部(部長:西俊英 軍医中佐/隊員教育)
- 庶務課
- 教育課
- 衛生兵
- 炊事班
- 診療所
- 錬成隊
- 少年隊
- 資材部(実験用資材)
- 庶務課
- 第一課(薬品合成)
- 山口班(細菌弾)
- 堀口班(ガラス)
- 第二課(購買補給)
- 第三課(濾水機)
- 第四課(倉庫)
- 第五課(兵器保管)
- 第六課(動物飼育)
- 診療部(付属病院)
- 伝染病棟
- 診療室
- 家族診療所
- 憲兵室
- 保機隊
支部
- 牡丹江支部(満州第643部隊;支部長:尾上正男 軍医少佐)
- 総務課
- 経理課
- 第一課
- 第二課
- 第三課
- 資材課
- 教育課
- 林口支部(満州第162部隊)
- 総務課
- 第一課
- 第二課
- 資材課
- 教育課
- 孫呉支部(満州第673部隊;支部長:西俊英 軍医中佐)
- 総務課
- 第一課
- 第二課
- 資材課
- 教育課
- 海拉爾支部(満州第543部隊)
- 総務課
- 第一課
- 第二課
- 資材課
- 教育課
- 大連支部(満州第319部隊)
- 総務部
- 研究部
- 製造部
総論
731部隊で行われたとされる各種の人体実験は、しばしばナチスドイツのユダヤ人強制収容所で行われたドイツ人医師による人体実験と並んで語られれることがある。確かに、生体実験と言う残虐な犯罪を行い、倫理的障害を選民思想によって取り除いていたという観点では両者には差はみられない。
ただ、人体実験を行った主体という観点から見ると両者には相違点が存在する。731部隊での人体実験は、BC戦術の効果的運用を目的として軍の部隊内で組織的に実施されたが、それに対してナチスの強制収容所の場合は、収容所自体はユダヤ人の根絶を唯一の目的とした施設であり、人体実験に関しては、ドイツ人医師による個人的研究という性質が強かった。 731部隊は軍組織として、効率的運用が図られ、そして、その成果は当時としては最小のタイムラグ(専用の連絡機運用は軍施設においても特別と言える)で新宿の防疫研にもたらされ、防疫研は成果をほかの実験部隊に展開するとともに、各部隊からの情報を731部隊にフィードバックしていた。石井四郎はBC戦術の研究開発システムを未曾有の規模で作り上げたのである。
当時の日本軍はこのシステムを終戦寸前の撤退戦まで支援し続けた。
なお、日本軍は、中国戦線で化学兵器の大規模な実戦投入を実施している(化学兵器は比較的扱いが容易であることからと推測されている。より高度な生物兵器に関しては実験的な実実戦投入がされたとされ、現在、被害訴訟などで真偽が論じられているが、特定伝染病の流行記録はあるが最終的な結論は出ていない)しかし、対米戦においては一度もBC戦を展開していない、沖縄戦前後に検討されたとする証言もあるが物資の貧窮した時期に実施は不可能であったと推測されている。なお、これは米軍の報復を恐れた為であるとの指摘もある。
日本の歴史修正主義者をはじめとする一部の論者は「目立った証拠が無い」として731部隊が行った人体実験等の存在自体を否定しているが、近年、ニューヨーク在住のノンフィクション作家である青木冨貴子によって石井四郎の書いた日記が発見され、それには戦後の彼の行動が克明に記録されており、戦時中の行動に関しても符丁としてだが相当量が記載されていた、研究者による分析よると、これまで調査されてきた人体実験等の内容と矛盾は見られず、裏付けとなりうるとされている。
<!== 訴訟==--> 人体実験等の存否にかかわらず、第二次大戦についての戦争賠償・補償ついては日本と被害各国との間で条約・協定等が締結、履行された事により解決し、国際法上も日本の国家責任については決着していることからこの種の訴訟は全て原告の要求は却下されている。
参考文献
- 『悪魔の飽食 新版』森村誠一 1983年 角川文庫 ISBN 4041365651
- 『731部隊』 常石敬一 講談社現代新書 ISBN 4061492659
- 『昭和史の謎を追う (上)』 秦郁彦 文春文庫 ISBN 4167453045
- 『検証 旧日本軍の「悪行」―歪められた歴史像を見直す』 田辺敏雄 2002年 自由社 ISBN 4915237362
- 『ミドリ十字と731部隊ー薬害エイズはなぜ起きたのか』 松下一成 1996年 三一書房 ISBN 4380962954
- 『十五年戦争極秘資料集29 七三一部隊作成資料』 田中明 松村高夫編 不二出版 1991年
-
- 731部隊員作成による人体実験-きい弾(イペリット弾)曝射実験や破傷風菌接種実験-における被験体経過観察報告書などを収載
- 『731部隊・細菌戦資料集成』CD-ROM 近藤昭二編 柏書房 2003年 ISBN 4760124047
- 『日本医学アカデミズムと七三一部隊』軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会 編1990年7月15日初版1刷発行、1993年9月25日新装第1刷発行制作 凱風社(初版)樹花舎(新装版)
- 『731』青木 冨貴子 新潮社 2005年 ISBN: 4103732059
関連項目
- 中国帰還者連絡会(中帰連)
- 日本の戦争犯罪
- 100部隊 - 軍隊で用いる動物の疾病予防を目的に発足した部隊の別名。正式には『関東軍軍馬防疫廠』で、通称号『満洲第100部隊』動物を介して伝染する細菌のテストを行なったとされる
- 悪魔の飽食
外部リンク
- 七三一部隊元隊員証言記録 (Dr.山本の診察室)
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