アルトゥーレ・シルガイリス
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アルトゥーレ・シルガイリス(Silgailis、1895年11月13日 - 1997年8月15日)は、ラトビア、ドイツの軍人。ラトビア軍では大佐。第二次世界大戦中にドイツ武装親衛隊のラトビア人義勇兵部隊を指揮し、親衛隊上級大佐にまで昇進した。
メドミュイザ出身。1914年、義勇兵としてロシア帝国軍に入隊。ヴィレンスク軍事学校促成課程を修了し、1915年9月、将校に任官。第426歩兵ポネヴェジュ連隊で勤務。1916年夏、スヴェアボグのバルト艦隊本部に異動。
ラトビア独立後、1919年12月、ラトビア軍に採用され、第12バウス歩兵連隊の上級中尉となった。1928年から第2ヴィゼム師団本部で勤務。1931年~1934年、師団参謀次長。1934年から大隊長、後に第6リガ歩兵連隊長。1935年から軍事アカデミーの講師、大佐。1939年10月から1940年9月まで第4ゼムガル師団参謀長。
第二次世界大戦時、SSラトビア人義勇兵部隊の創設に積極的に参加し、ルドルフ・バンゲルスキスの盟友でもあった。1942年3月から宣伝中隊で勤務。1943年3月、親衛隊大佐となり、第15SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第1)参謀長に任命。1943年12月から1944年1月まで第34SS武装擲弾兵連隊長。1944年1月から第15SS武装擲弾兵師団の歩兵部長(第一副師団長)、同年4月から第19SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第2)長。1944年7月、SSラトビア人義勇軍団総監バンゲルスキスの参謀長。1945年5月、ベルギーで捕虜となる。
終戦後、ソ連への引渡しを逃れ、1946年3月に釈放された。
1953年、カナダに移民。1997年8月15日、トロントで死去。
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