イルゼ・コッホ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イルゼ・コッホ(Irse Koch,1906年9月22日-1967年9月1日)はブーヘンヴァルト強制収容所所長の妻であり、女性看守。
[編集] 経緯
元々はザクセン・ハウゼン強制収容所において看守兼秘書として仕事をしていたところ、1936年夫で親衛隊幹部のカール・コッホと結婚し、翌1937年ブーヘンヴァルト強制収容所に夫に随行した。
[編集] 収容所での行為
夫が収容所の所長の地位であることを楯に収容所で囚人に対して虐待行為を行った。収容所の構内で馬を乗り回し、囚人に鞭を打ったり、死んだ囚人の皮膚でランプシェードやブックカバー、手袋を作るなどの常軌を逸した行動をしたほか、彫り物をしている囚人がいるとその囚人を注射で薬殺し、彫り物の部分を剥いだものを収集するなどし、捕まっていた人、並びに働いていた親衛隊員達からブーヘンヴァルトの雌犬と呼ばれた。
1943年に夫が収容所における悪事で告発されたとき、イルゼも横領着服容疑で裁判にふされたものの、証拠不十分で無罪となる。
[編集] 戦後の経緯
1947年、アメリカ占領軍によって逮捕され、終身刑を言い渡されるも証拠不十分で懲役4年に減刑され、1949年に恩赦で釈放されるも、ドイツの司法当局はこれを許さず、ドイツ国民への犯罪行為として再度イルゼを告発し、1951年に終身刑を言い渡した。イルゼはあくまで無罪を主張し、国際人権委員会に告発するも相手にされず、1967年息子に「死だけが救い」の文章を残して自殺した。