エイミー・マン
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エイミー・マン(Aimee Mann, 1960年8月9日 - )は、アメリカのヴァージニア州生まれのミュージシャン。 1980年代後半に活動したニューウェーブ系のロックバンド、ティル・チューズデイの元ベーシスト兼ヴォーカリストで、1990年代以降はシンガーソングライターとして活動している。主な代表曲に「セイヴ・ミー」などがある。
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[編集] プロフィール
[編集] バンドの一員としての活動
マサチューセッツ州ボストンのバークリー音楽大学に入学するが1982年に中退。その後ヤング・スネイクスというパンクロックバンドを結成し、EPを1枚制作している。その翌年になるとマンは大学時代のクラスメイトだったマイケル・ハウスマンらと共に新たに結成したティル・チューズデイとしての活動を始めた。ボストンで行われたコンテストで優勝したのをきっかけにエピック・ソニーにレコード・デビューを持ちかけられ、契約を交わした彼らは1985年にシングル「愛のVOICES」でデビューする。この曲がビルボードのHOT 100で最高8位を記録したことによってバンドの名前は一躍有名になり、同曲のプロモーション・ビデオはMTV Video Music Awardsの最優秀新人賞を獲得した。その翌年の1986年には2枚目のアルバム『ウェルカム・ホーム』を発表。プロモーションの一環で来日公演も行われた。このアルバム以降ティル・チューズデイはマンが実質的に主導権を握るバンドとなり、とりわけ1988年発表の『エヴリシング・イズ・ディファレント・ナウ』はその後の彼女のソロ活動の伏線というべき作風のアルバムとなっている。しかし、「愛のVOICES」で華々しいデビューを飾ったこのバンドはその後同曲を超えるヒットに恵まれなかったために、結果的にこのアルバムを最後に1989年に解散した。
1980年代後半、バンドとしての活動以外で彼女はラッシュやシンディ・ローパーのアルバムなどで客演している。また、ティル・チューズデイのラスト・アルバムとなった『エヴリシング・イズ・ディファレント・ナウ』にはエルヴィス・コステロとの共作曲が収められている。コラボレーションしたミュージシャンとの恋仲が囁かれることもあり、MTVの看板番組『MTVアンプラグド』の初代司会者として知られるシンガーソングライターのジュールズ・シアーと交際していた時期もあったといわれている。
[編集] ソロ活動の概要
1993年にイマーゴという名のレコード・レーベルからアルバム『ホワットエヴァー』で彼女はソロ・デビューする。ティル・チューズデイの『エヴリシング・イズ・ディファレント・ナウ』でギタリストとして参加し、後年にフイオナ・アップルなどを手がける大物プロデューサーとして成功するジョン・ブライオンが初めてプロデュースしたレコードでもあったが、発売後まもなくして所属レコード会社が倒産してしまったため、小規模のヒットに終わっている。その後ゲフィンと契約を交わした彼女は、2年後にセカンド・アルバム『アイム・ウィズ・ステューピッド』をリリース。前作同様にブライオンがプロデュースし、スクイーズのグレン・ティルブルックとクリス・ディフォードなどが参加したこのアルバムは、評論家の間でこそ高い評価を得たものの、チャート上では苦戦を強いられた。
1997年には所属していたゲフィン・レコードがインタースコープに買収され、再びレコード会社がらみのトラブルに巻き込まれる。また、レコードのセールス不振を原因により大衆受けする楽曲を求めるゲフィンとの関係は悪化。最終的にマンは1998年に同社を離れ、その後過去の作品の原盤権利を買い取っている。一方私生活では、 『アイム・ウィズ・ステューピッド』の制作によってより親密になった10年来の友人であるシンガーソングライターのマイケル・ペン(俳優ショーン・ペンの兄)と1997年に結婚。ペンとは後年、映画『アイ・アム・サム』のサントラなどでデュエットなども行っている。
1999年、マンはインディーズのレコード会社、スーパーエゴ・レコーズを設立する。そこからリリースされた彼女の初の作品が2000年の『バチェラーNo.2』である。ゲフィンの買収によって発売が延期されていたこのアルバムは、当初インターネット限定での販売だったが、2001年にV2レコードのディストリビュートによって世界各国で再発売された。紆余曲折を経てようやく発表にこぎつけたこの作品は、マンにとってティル・チューズデイ以来最も大きな反響を呼んだ代表作というべきアルバムとなった。そのきっかけとなったのが、アルバム発表の前年に公開されたポール・トーマス・アンダーソンの映画『マグノリア』である。マンの長年の友人だったアンダーソンが『バチェラーNo.2』収録曲の「デズリー」の冒頭の一節にインスピレーションを受けて制作し、ブライオンがスコアを手がけたこの作品は、ベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞。アンダーソンや主演のトム・クルーズがアカデミー賞にノミネートされるなど高い評価を得た。この映画のサントラとして発表され、映画同様に反響を呼んだのがマンの楽曲を中心に構成された同名のアルバムで、グラミー賞の最優秀コンピレーション・サントラ・アルバム部門にノミネートされた。主題歌「セイヴ・ミー」も同賞の最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス部門をはじめとする2部門やアカデミー賞の候補曲となっている。
その後は現在に至るまで2枚のオリジナル・アルバムとライブ盤一作をリリース。そのうち、2002年に発売された『ロスト・イン・スペース』はビルボードのインターネット・アルバム・セールス・チャートで1位を記録する成功を収めた。最新作の『フォーゴトン・アーム』も同チャートで5位以内に入るヒットになっている。2005年秋には19年ぶりの、単身では初となる来日公演を行った。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] ティル・チューズデイのアルバム
- 『愛のVOICES』 - Voices Carry (1985年)
- Welcome Home (1986年)
- Everything's Different Now (1988年)
- 『ザ・ベスト・オヴ・ティル・チューズデイ』 - Coming Up Close: A Retrospective (1996年)
[編集] ソロ・アルバム
- 『ホワットエヴァー』 - Whatever (1993年)
- 『アイム・ウィズ・ステューピッド』 - I'm With Stupid (1995年)
- Ultimate Collection (日本未発売のベスト盤、2000年)
- 『バチェラー No.2』 - Bachelor No.2; or the Last Remains Of Dodo (2000年)
- 『ロスト・イン・スペース』 - Bachelor No.2; or the Last Remains Of Dodo (2002年)
- スペシャル・エディション (日本未発売、2004年)
- 『ライヴ・アット・セント・アンズ・ウェアハウス』 - Live at St. Ann's Warehouse (ライヴCD+DVD、2004年)
- 『フォーゴトン・アーム』 - The Forgotten Arm (2005年)
[編集] その他
- Bark Along with the Young Snakes (EP, 1982年)
- 『マグノリア』 - Magnolia (同名映画のサントラ盤、1999年)
- Aimee Mann & The Young Snakes (2004年)