オンワードガイ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 栃栗毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1968年4月6日 |
死没 | 1985年 |
父 | オンワードゼア |
母 | リナウン |
生産 | オンワード牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 樫山純三 |
調教師 | 森末之助(東京) |
競走成績 | 42戦10勝 |
獲得賞金 | 1億4213万0100円 |
母のリナウンは偶然にもオーナー樫山純三の経営していた「オンワード樫山」のライバル企業「レナウン」と英表記の綴りが同じであった。同期はヒカルイマイ・ニホンピロムーテー・ダコタ・ベルワイド等。
1970年暮れの朝日杯3歳ステークス優勝。クラシックでは菊花賞をニホンピロムーテーの3着。主な勝ち鞍はAJC杯・目黒記念・函館記念等。トップに立てない名脇役でもあった(1972年の有馬記念4着(勝ち馬イシノヒカル)・1973年天皇賞(春)4着(勝ち馬タイテエム))。
函館は強く他に巴賞(1800メートル・オープン特別)勝ちもある。本質的には1800~2000メートルが一番合っていた様に思うが、上記のAJC杯は東京2400メートル、目黒記念はトップハンデで2500メートルを連勝した。目黒記念でアカツキテルとの写真判定を制し優勝した時、鞍上の蓑田早人はスタンドに鞭を投げ入れ喜びを爆発させていた。
父はオンワードゼアで天皇賞・有馬記念を制し年度代表馬に昇り詰めた名馬。オンワードガイは同馬の代表産駒。父を追い天皇賞・有馬記念を目標に頑張ったが、ジリ脚傾向も災いし入着が精一杯であった。馬格は440キロ~450キロ程度で牡馬としては、やや小柄であった。
引退後種牡馬になった時、種付け料金が無料の為、一時は賑わったと言うエピソードがあった。
[編集] 血統表
オンワードガイの血統 (オーム系/Blandford4×5=9.38%) | |||
父
オンワードゼア 1954 栗毛 |
マルゼア 1941 栗毛 |
*レヴユーオーダー Review Order |
Grand Parade |
Accurate | |||
*ゼア There |
Over There | ||
*デッドインデアン | |||
トキツカゼ 1944 鹿毛 |
*プリメロ Primero |
Blandford | |
Athasi | |||
第五マンナ | *シアンモア | ||
マンナ | |||
母
*リナウン Renown 1956 栃栗毛 |
Never Say Die 1951 栗毛 |
Nasrullah | Nearco |
Mumtaz Begum | |||
Singing Grass | War Admiral | ||
Boreale | |||
Refreshed 1949 黒鹿毛 |
Hyperion | Gainsborough | |
Selene | |||
Monsoon | Umidwar | ||
Heavenly Wind F-No.1-w |