コージャ
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コージャ(コリャ:コヤ colla/kolla)とは、
- ボリビアで、アンデスの高地(アルティプラーノ)やそこに住む人たちをさす俗語。ボリビア低地の人たち (カンバ)がこの言葉を使う時は、「暖かみが無い人」「すかした人」というような蔑みの意味を含むことが多い。インカ帝国の行政区分の一つ、「コリャ・スーユ」が語源と考えられ、後にスペイン語化した。
- 先スペイン期のティティカカ湖北岸(東岸も)に栄えた、アイマラ語系諸王国 (Aymara señorios)のひとつ。ただし、ウル-プキーナ語族系という説もある。コリャ王国 (Collas)。中心は、HatunCollaといわれている。ティティカカ湖北西岸は別名コリャオ (Collao) ともいう。
[編集] 語源
コリャ(コージャ)が、本来は何を意味していたのかについては、実はかなり混乱している。
スペイン人が征服直後に先住民から聞き書きした記録文書に基づくと、本来この「コリャ (Colla) 」という用語は形容詞として、ウル (Uru) 族やプキーナ(Pukina)族といった集団に対して利用されていた。彼らはティティカカ湖周辺に居住していた、非アイマラ語系の先住民である。当時は、Collaという単語は、決してアイマラ族へは利用されていなかったという。
しかし、16世紀になると記録文書の中でもこのコリャ (Colla) という用語の形容詞としての利用が消失し、名詞として利用されるようになる。そして、プキーナ語やアイマラ語において、コリャは複雑な意味を持つようになり、そこには、「清め、厄除け」といった意味から、「食べ物や飲み物」、さらには「石膏 やクスリ」といった意味を含むようになる。Collacamanaとは医者という意味である。カリャワヤ(Callawaya)は、また、コリャワヤ(Collawaya)ともいい、プキーナ語系民族が本来の起源と言う。
さらに、コリャは、コリャ王国 (Collas) の人々や王をさすようになる。このコリャ王国の範囲や性格については、記録文書によって様々な説がある。一説によると、ウル-プキーナ語族系で、非アイマラ語系ともいう。しかし、二重言語話者も多くいたらしく、実際には詳細はわかっていない。諸説あるため確定はされていないが、隣接するアイマラ語系のルパカ王国 (Lupacas)とは性格がかなり異なっていたことが示唆されている。本来、ティティカカ湖沿岸はウルコスーユ(Urcosuyu) と呼ばれ、非アイマラ語系のウル-プキーナ語族が居住していたといわれており、後にペルーあるいはチリからアイマラ語系諸族がやってきて、ルパカ王国を築いたという説がある。しかし、やはり諸説あり、詳細ははっきりしていない。
15世紀ころ、コリャ王国はアイマラ語系のルパカ王国 (Lupacas)と激しい抗争を繰り広げていたとされる。その後、ルパカ王国がインカ帝国と手を結んだため、太陽の島をルパカ王国に取られ、さらに、ティティカカ湖北岸にあったカーナ(Canas) 地方(王国)をルパカ王国が征服したことにより、コリャ王国 (ウルコスーユ) はティティカカ湖の東と北西部とに分断させられたという。
最終的に、ルパカ王国の王カリ(QariあるいはCari)が、コリャ王国の王サパーナ(Zapana)をパウカローリャ(Paucarolla)で殺し、コリャ王国を征服したという。その後、インカ帝国に併合されたコリャ王国出身人々はインカ帝国に対して反乱を起こすが、結局失敗に終わるといわれている。
コリャという用語は、最終的にはコリャ・スーユという名称でティティカカ湖沿岸から南部地方を指す概念として、インカ帝国期に残る。ただし、この時期のアイマラ諸王国のうちいくつか(例えば、ルパカ王国など)は、インカ帝国においてもある程度の権限を持っていたとされている。