コーネルランサー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1971年4月16日 |
死没 | 1991年9月16日 |
父 | セダン |
母 | エオス |
生産 | 大島牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 久保谷唯三 |
調教師 | 勝又忠(東京) |
競走成績 | 11戦4勝 |
獲得賞金 | 7839万1100円 |
コーネルランサーは日本の競走馬。1974年の東京優駿(日本ダービー)が主な勝ち鞍である。晩年は韓国に寄贈された。母の兄弟に快速馬ヘリオスが居る。コーネルランサーの外観はヘリオスによく似ていた。
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[編集] 概要
1973年の夏の福島でデビュー。金色に輝く四白流星の綺麗な馬だった。11戦全て3着以内という安定感のある競走成績を残した。ひいらぎ賞をレコード勝ちしクラシック候補になると、京成杯2着、弥生賞3着を叩いて、皐月賞に挑んだ。皐月賞はキタノカチドキの2着に敗れたが日本ダービーではインターグッドやキタノカチドキを破ってレコード勝ちを収めた。インターグッドに直線で一旦かわされながら差し返しハナ差で優勝。430キロ台の小柄であったが、500キロ台のインターグッドに競り勝った。日本ダービー後は脚部不安のため長期休養に入りその後一走もすることなく1976年に種牡馬入り。しかしセブンランサー(東海ゴールドカップ)を出す程度に留まり、1984年に当時の韓国大統領・全斗煥に寄贈される事となった。『大統領の馬』の肩書きを得た(この肩書き故に、担当になった厩務員は無免許運転で職務質問を受けたにも拘らず無罪放免になったそうである)コーネルランサー(코넬란사)は日本時代以上の厚遇を得、1991年に当地で生涯を終えている。
[編集] 競走成績
1973年(7戦3勝)
1974年(4戦1勝)
- 東京優駿(日本ダービー)
- 2着 - 皐月賞、京成杯、3着 - 弥生賞
[編集] 主な産駒
- セブンランサー(東海ゴールドカップ)
[編集] 血統表
コーネルランサーの血統 Prince Rose系/Prince Rose 3×4=18.75% Indolence 4×5=9.38% Rose Prince 4×5=9.38% | |||
父
* Sedan 1955 鹿毛 |
Prince Bio 1941 鹿毛 |
Prince Rose | Rose Prince |
Indolence | |||
Biologie | Bacteriophage | ||
Eponge | |||
Staffa 1948 鹿毛 |
Orsenigo | Oleander | |
Ostana | |||
Signa | Ortello | ||
Superga | |||
母
エオス 1959 栗毛 |
* Bouffleur 1952 栗毛 |
Prince Chevalier | Prince Rose |
Chevalerie | |||
Monsoon | Umidwar | ||
Heavenly Wind | |||
* Miss Hyperion 1950 栗毛 |
Khaled | Hyperion | |
Eclair | |||
Mad Joss | Bunting | ||
Jostle F-No.2-n |