ジョン・F・ケネディ国際空港
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ジョン・F・ケネディ国際空港 | |||
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IATA:JFK - ICAO:KJFK | |||
概略 | |||
空港種別 | 公共 | ||
運営者 | NY&NJ港湾公社 | ||
開港日 | 1948年7月1日 | ||
受け持ち | ニューヨーク | ||
海抜 AMSL | 13 ft (4 m) | ||
位置 | 北緯40度38分23秒西経73度46分44秒 | ||
滑走路 | |||
方向 | 全長 | 表面 | |
ft | m | ||
4L/22R | 11,351 | 3,460 | 舗装 |
4R/22L | 8,400 | 2,560 | 舗装 |
13L/31R | 10,000 | 3,048 | 舗装 |
13R/31L | 14,572 | 4,442 | 舗装 |
ジョン・F・ケネディ国際空港 ( -こくさいくうこう、John F. Kennedy International Airport) はニューヨーク市クイーンズ区のジャマイカ湾に面した国際空港である。
目次 |
[編集] 概要
ラガーディア空港、ニューアーク・リバティ国際空港とともに「ニューヨーク三空港」を構成する空港で、その管理・運営・警備はすべて同地域の地域開発公団であるニューヨーク・ニュージャージー港湾公社が行っている。
アメリカを代表する国際空港としての位置付けが高いが、アメリカ国内への運行便も非常に多く、世界でも有数の繁忙空港である。デルタ航空とジェットブルー航空がハブ空港にしているほか、アメリカン航空とユナイテッド航空も準ハブ空港の一つとしており、その混雑はますます進んでいる。(なおかつてはパンアメリカン航空、トランスワールド航空、イースタン航空、ナショナル航空、タワーエアーなどがハブ空港としていた。)
[編集] 名前
現地では一般に “ジェイ・エフ・ケイ” と呼ばれている。“ケネディ・エアポート” でも通じるが、“ジョン・エフ・ケネディ・エアポート” とはまず言わないので要注意。
[編集] 歴史
- 1942年 - アイドルワイルドゴルフコースの一部分として建設されアイドルワイルド空港として開港。当初は4平方キロメートルしかなかったが、後に航空機産業の活性化に伴い後に16平方キロメートルが追加された。
- 1948年7月1日 - 初の商業飛行が行われた.
- 1948年7月31日 - ニューヨーク国際空港として“アイドルワイルド空港”が誕生した。(IATAコード:IDL)
- 1963年12月24日 - 同年11月22日に暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の栄誉を讃え「ジョン・F・ケネディ国際空港」と改名された。
- 1964年 - ビートルズはにこの空港に降り立ち歓迎された。これは音楽と空港の両方にとって「歴史的な出来事」であった。
- 1975年から2003年 - ブリティッシュエアウェイズ、エールフランスの2社によって大西洋上を超音速で飛行するコンコルドが運行されていた。残念ながらコンコルドは引退し、超音速旅行は終わりを告げた。この空港はコンコルドの歴史をすべて見ていたと言える。
- 2001年 - 9/11テロの直後、最も早く一時閉鎖された空港の一つ。
[編集] 事故
- 1954年12月18日 アリタリア航空のDC-6型機が2時間半にも及ぶ旋回の後4回目の着陸で墜落。乗員乗客併せて32人中26人が死亡
- 1962年3月1日 アメリカン航空のボーイング707型機が離陸後、舵が効かなくなり墜落。95人の乗員乗客全員が死亡(アメリカン航空1便墜落事故)
- 1962年11月30日 イースタン航空のDC-7型機が着陸失敗で墜落
- 1975年6月24日 イースタン航空66便 (ボーイング727型機) が22L滑走路手前で墜落。乗員乗客併せて112人が死亡。当時強い雷雨のなかウィンド・シアが起こったとされている。
- 1990年1月25日 コロンビアのアビアンカ航空52便 (ボーイング707-320) が着陸進入中、ニューヨーク州コープ・ネックに墜落。73名が死亡。当日は悪天候のため空中待機が長引き燃料切れとなったことが原因。操縦クルーの英語力不足もあった。
- 2001年11月12日 アメリカン航空587便サントドミンゴ行き (エアバスA300) が離陸直後に墜落。乗員乗客260人全員と地上の住民5人が死亡という、ケネディ空港最悪の事故 (米国内でも最悪級の事故) となった。直前に離陸した日本航空47便成田行きの、ボーイング747が引き起こしたウェーク・タービュランス (後方乱気流)によって大きく揺れた機体のバランスを保とうと、副操縦士がラダーを過剰操作した結果、垂直尾翼がこれに耐えきれずもぎ折れ、機体がコントロールを失ったことが原因とされる。この事故が起きたのは911テロの2ヵ月後であったため、当初はテロ説も流れてニューヨーク市は騒然とした。また死亡した乗客の一人は、その2ヵ月前にワールドトレードセンターを辛くも脱出して九死に一生を得ていたというのも運命の皮肉であった。
[編集] 構造と機能
4つの滑走路が中央ターミナルを囲み、それぞれペアで平行に走っている。13R-31L滑走路は北アメリカで一番長い商用滑走路で4440mある。
1948年から1957年まではターミナルが1つしかなかった。その国際線到着ターミナルは14億ドル掛けて2001年に第4ターミナルとして改装された。その他8つのターミナルは1958年から1971年にかけて各ターミナルはそのターミナルのメインとなる航空会社によって設計され作られた。これらのターミナルは貨物の取り扱いに関しても非常に大きな機能を持っている。
パンナムのメインターミナルである第3ターミナルは1962年に完成した。特筆する点として長円形の屋根が、放射状に32本ものケーブルで吊るされている。屋根は旅客エリアをカバーしている。これは乗客がスポットに泊められた飛行機に楽に移動するための特別な橋となっている。
トランス・ワールド航空のメインである第5ターミナルも1962年に完成した。こちらは有名な家具デザイナーとしても知られているフィンランド生まれの米国建築家エーロ・サーリネンによって設計された。
また第3ターミナル、第5ターミナルともに1970年代に改装されている。
[編集] エアトレイン
1998年からはエアトレインと呼ばれる軽軌道システムの建設が行われ、予定より1年遅れの2003年12月17日に開業した。これは空港の各ターミナル間を結ぶほか、空港とハワードビーチ駅、ジャマイカ駅のそれぞれを結び、ニューヨーク市の巨大な交通網と接続している。
[編集] その他
貨物の取り扱いとしてコンチネンタル航空、エミレーツ航空、スカイカーゴ、エバー航空、日本航空、大韓航空、日本貨物航空、ノースウエスト航空、ユナイテッド航空がある。
[編集] ターミナル
[編集] 第1ターミナル
当初はイースタン航空によって占められていた。後にターミナルは1998年にエールフランス、日本航空、大韓航空、ルフトハンザによって建て替えられた。ゲート数は11。
[編集] 第2ターミナル
1962年にノースウエスト航空、ノースイースト航空、ブラニフ航空により完成した。のちにパンナムも国内線が乗り入れてきた。デルタ航空が主に利用し、2006年4月までは同社の運営するソングが利用していた。ゲート数は11。
[編集] 第3ターミナル
1960年にパンナムにより完成し、パンナム専用ターミナルとなっていた。1971年には拡大し“フライングソーサ”という屋根が有名で最も大きなターミナルとなっていた。パンナムの倒産した1991年以降はデルタ航空が買い取り、改装された。ゲート数は17。
- アエロフロートロシア航空
- アエロメヒコ航空
- アトランティックコースト航空 (デルタ・コネクション)
- アトランティックサウスイースト航空 (デルタ・コネクション)
- チャウタクア航空 (デルタ・コネクション)
- チャイナエアライン
- コンエアー (デルタ・コネクション)
- チェコ航空
- デルタ航空
- マレブハンガリー航空
- ロイヤルヨルダン航空
- サウジアラビア航空
- 南アフリカ航空
- サンカントリー航空
[編集] 第4ターミナル
2001年に改装された。唯一の24時間利用可能ターミナル。ゲート数は16。かつては国際線到着ターミナル (International Arrivals Terminal) と呼ばれていた。
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[編集] 第5ターミナル (現在閉鎖中)
エーロ・サーリネンの設計で1962年に完成し、旧トランスワールド航空のターミナルとして使用されていた。「サーリネンのターミナルビル」としても知られる優美なデザインは、第3ターミナルとともにケネディ空港を代表する建築物となっている。2001年、アメリカン航空によるトランスワールド航空の買収に伴い閉鎖されたが、その後2005年12月に隣接する第6ターミナルを使用するジェットブルー航空がターミナル拡張計画の一環としてこれを買収した。現在はターミナルビル部分の改装工事とゲート数26の新サテライトを建設する工事が進行しており、これにともない旧サテライト部分は撤去された。2008年の完成時には第5・第6ターミナルは連結され、サーリネンのターミナルビルが新しい連結ターミナルの玄関口になる予定である。
[編集] 第6ターミナル
I・M・ペイの設計で1969年に完成し、旧ナショナル航空のターミナルとして使用されていた。ナショナル航空が旧パンアメリカン航空に買収されると、隣接する第5ターミナルを使用していた旧トランスワールド航空が第6ターミナルを買収し、その一部をユナイテッド航空にリースした。2001年にトランスワールド航空がアメリカン航空に買収されると、ジェットブルー航空が同ターミナルを買収、750万ドルをかけた大改修の後、同航空のハブとして再デビューした。ゲート数は21。
[編集] 第7ターミナル
当初、ブリティッシュエアウェイズのターミナルとして1970年に完成した。1991年と2003年にそれぞれ改装された。ゲート数は20。
- エア・カナダ
- アメリカウェスト航空
- 全日本空輸
- アトランティックコースト航空 (ユナイテッドコネクション)
- ブリティッシュエアウェイズ
- キャセイパシフィック航空
- カンタス航空
- ユナイテッド航空
[編集] 第8ターミナル
当初、アメリカン航空のターミナルとして1960年に完成した。ゲート数は15。
[編集] 第9ターミナル
1959年に10のゲート数で完成した。2007年の完成に向けて第8ターミナルと第9ターミナルを合わせてアメリカン航空の国内線、国際線用ターミナルとなる予定である。
- アメリカン航空 (国内線、カナダ、プエルトリコ方面)
- アメリカン・イーグル (ローカル担当)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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