タチアナ・トトミアニナ
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フィギュアスケート | ||
金 | 2006 | ペア |
タチアナ・トトミアニナ(Татьяна Тотьмянина/Tatiana Totmianina)はロシアのフィギュアスケート選手である。競技はペア。1981年11月2日生まれ。ロシア、ペルミ州の州都ペルミ生まれ。コーチは2001年までナタリア・パブロバ。以降はオレグ・ヴァシリエフ。振り付け師はスヴェトラーナ・コロル。現役時代の活動拠点はイリノイ州シカゴ。身長160センチ。パーソナル・ベストは204.48(トリノ・オリンピックにおけるもの)。趣味は読書と料理。
[編集] 来歴
1985年にスケートを始める。もともとはシングルのスケーターであったが、1996ー1997シーズンよりマキシム・マリニンとチームを組み、ペアに転向する。ちなみにマリニンがペア転向を決断したのはエフゲニー・プルシェンコが出現してしまい、到底彼には歯が立たないと感じたからとのこと。
ペア転向当初はなかなか結果が伴わなかったが、2000年頃から有力チームとして認知されるようになる。2001年にはロシアから活動拠点をシカゴに移し、それにともなってコーチもヴァシリエフに変更している。
2002年のヨーロッパ選手権で最初の大きなタイトルを獲得(以降、引退する2005-2006シーズンまで全勝)。直後のソルトレイクシティオリンピックでは4位に食い込む。ただ、この時点では3位の申雪&趙宏博組との実力差は明らかであった。実際、2002年と2003年の世界選手権ではいずれも申雪&趙宏博組の後塵を拝して2位に終わっている。この時期までの彼等の演技について良く言われたのが、「技術的には上手いかもしれないが、これといった特徴に欠ける」という意見であった。
しかし彼等はさらにその技術に磨きをかけ、ついに2004年世界選手権では申雪&趙宏博組越えを果たして世界の頂点に到達する。残念ながらこの大会では申雪&趙宏博組のコンディションが今ひとつであり、両者が万全の状態で激突したわけではなかったが、彼等の進境が著しいこともまた明らかであった。
この時期を境に申雪&趙宏博組が怪我に苦しんで万全の調子を発揮出来なかったこともあり、2000年代中盤を代表するこの二つの最強チームの全盛期はほとんど入れ違いのような形になっている。続く2004-2005シーズンではグランプリ・シリーズ緒戦のスケート・アメリカでリフトを失敗してタチアナが頭部から氷上に落下という大事故を経験するも、シーズン後半には見事に復活して2005年の世界選手権も圧勝(この時のフリー・プログラムは落下事故で使ったものと同じものである)。さらに2006年のトリノ・オリンピックでも張丹&張昊組、龐清&佟健組の猛追を横綱相撲で押さえ込んでパーソナル・ベストの演技で優勝を勝ち取り、アマチュアのキャリアを追えた。
現在はチャンピオンズ・オン・アイス・ツアーに参加している。
[編集] 特徴
シングル出身だけあってソロジャンプの技術は高く、トリプル・トゥループやトリプル・サルコウもフリー・プログラムに採り入れている。またスケーティングやリフト時、デス・スパイラル時の姿勢の美しさも特筆される。落下事故から復帰した後の1年半は高い技術に加えて鬼気迫るようなオーラをも身にまとい、以前言われていたような「特徴がない」という批判を完全に粉砕した。
[編集] 主な戦績
- オリンピック優勝1回、4位1回
- ヨーロッパ選手権優勝5回、2位1回
- 世界選手権優勝2回、2位2回
- ロシア選手権優勝3回、2位1回、3位2回
- グランプリ・シリーズ優勝多数
- グランプリ・ファイナル優勝2回、2位1回