デーヴィッド・ベラスコ
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デーヴィッド・ベラスコ(David Belasco, 1853年7月25日 - 1931年5月14日)はアメリカの劇作家、舞台監督ないしは演出家である。19世紀末から20世紀初頭にかけて数多くのブロードウェイ劇を著し著名となり、またそれらが、プッチーニの作曲により『蝶々夫人』および『西部の娘』としてオペラ化されたことで今日も名を残す。
[編集] 生涯
カリフォルニア州サンフランシスコにセファルディ系ユダヤ人の両親のもとに生まれる。両親はもともとポルトガルの出で、ゴールドラッシュの際ロンドンから移住してきた夫婦であり、演劇ビジネスに従事していたという。
芝居好きのデーヴィッドは早くも12歳にして最初の舞台劇を著したと伝えられる。18歳からは地元サンフランシスコの各劇場に勤め出し、裏方から俳優、外国劇の翻訳・翻案までの各仕事をこなして演劇の文字通り表裏を学んだ。やがて劇作家・舞台監督として才能を開花させ、1882年からはニューヨーク、マディソン・スクエア劇場に拠点を移した。そして最晩年の1930年までの間に、彼が著した、あるいは脚本制作や舞台演出に参画したブロードウェイ劇は100篇を超えるまでに及び、彼はニューヨーク演劇界におけるもっとも影響力のある一人となるに至った。
今日彼の名は、ジャコモ・プッチーニの作曲になるオペラ『蝶々夫人』(Madama Butterfly, 1904年オペラ初演、原題はMadame Butterfly, 1900年戯曲初演)および『西部の娘』(La Fanciulla del West, 1910年オペラ初演、原題The Girl of the Golden West, 1905年戯曲初演)の原作者としてもっとも有名である。映画草創期における彼の役割もまた無視できないものがあり、40本以上の映画にベラスコは原作者あるいは共同製作者として参画している。
彼はブロードウェイに「ベラスコ劇場」と名付けた専用劇場をもった。そのうち第2代目にあたるもの(既存劇場を1910年に買収・改装)は今日でも現役の劇場であり、ティファニー製の照明や天井パネルなど、ベラスコが活躍していた当時の面影を多く遺している。
また、ベラスコの舞台装置はその写実性に定評があり、スコット・フィッツジェラルドの小説グレート・ギャツビーにも、徹底したリアリズムを表現するのに「まさにベラスコだ」という比喩が用いられた記述がある。
ベラスコは1931年にニューヨークで没した。
カテゴリ: アメリカ合衆国の劇作家 | 1853年生 | 1931年没