ドイツの国章
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ドイツの国章(ドイツのこくしょう)は、鷲(アドラー)をモチーフにしている。現在のドイツ連邦共和国の国章が定められたのは、1990年のドイツ再統一のときである。
[編集] 歴史上のドイツ国章
ヴァイマル共和政時代の国章 |
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鷲は大型の鳥類として食物連鎖の頂点に立っていることから、ヨーロッパでは古来より、勇猛果敢さと力、無敵の象徴とされ、多くの権力者に好まれてきた。その意匠は、すでに8世紀半ばのカール大帝の頃から用いられ、13世紀初頭には「金地に黒鷲」の紋章が神聖ローマ帝国皇帝の紋章とされるようになった。1433年、「双頭の鷲」の紋章が神聖ローマ帝国の紋章と定められた。15世紀半ばには、歴代皇帝の紋章に鷲が用いられるようになった。その後、双頭の鷲の紋章は、オーストリアの王家であるハプスブルグ家の紋章に引き継がれた。
1848年、フランクフルト国民議会は、皇帝のシンボル(剣、宝珠、笏、王冠)を除いた「双頭の鷲」を引き続き新しい国章として用いることを決議した。
1867年、プロイセン王国の下に北ドイツ連邦が成立した際には、新しい紋章が採用されたが、そこにも鷲が用いられている。そして、1871年にドイツ統一が成ってドイツ国(ドイツ帝国)となった際には、プロイセン王国の紋章が国章とされた。プロイセン王国の国旗の中央には、国章である4つの皇帝のシンボルを付けた鷲が描かれている。
鷲のモチーフは、この後、1918年にヴァイマル共和政(ワイマール共和国)となった際にも、また、1933年にナチス・ドイツとなった際にも国章に維持された。ワイマール共和国の国章は、4つの皇帝のシンボルを外した鷲(ワイマール鷲)である。また、1935年にワイマール鷲に替わって採用された国章は、ナチスのシンボルである鉤十字の上に鷲をあしらったものである。
1950年、ドイツ連邦共和国の成立に当たり、ワイマール鷲(このときから「連邦鷲」と呼ばれる。)を取り込んだ新しい国章を定めた。
他方、同年に成立したドイツ民主共和国(東ドイツ)でも新しい国章を定めたが、鷲は用いられず、労働者を象徴するハンマーと知識人を意味するコンパスを麦で囲んだいかにも共産主義国家らしいデザインとなった。