ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハウ・ドゥ・ユー・スリープ(眠れるかい?) (How Do You Sleep? ) は、1971年に発表されたジョン・レノンの個人名義第二弾アルバム『イマジン』に収録された曲で、内容はビートルズ時代の相棒ポール・マッカートニーをこき下ろしたものである。
元々「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」という言葉は、ビートルズのメンバーの間で目の大きなポールを茶化すために使われていた。ジョンとポールは1970年4月17日のポール脱退表明=ビートルズ事実上の解散をきっかけとして不仲となっているが、とりわけ1971年頃がひどく、ポールは『ポール&リンダ・マッカートニー』名義で発表したセカンドアルバム『ラム』の収録曲「3本足」や「トゥー・メニー・ピープル」でジョンはもちろんジョージ・ハリスンとリンゴ・スターも暗に非難していた。(「ぶち壊したのは君だ。僕じゃない」「友達だと思っていたのに僕をガッカリさせた」 3本足」より) 頭にきたジョンはこの曲を書くことによってポールに反撃したわけだが、のちに『僕がポールに対して憤っていたから書いた。当てつけて書いたからあいつもそう受け取ったのさ。ただ……あいつのにだって当てつけはあるんだ。ぼかしてあるから誰も気づかないだけさ。』とコメントしたほど歌詞の内容はストレートなポールへの誹謗・中傷。ポールがビートルズ時代に書いた「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」と「イエスタデイ」、そしてポールのファーストソロシングル「アナザー・デイ」という楽曲、さらに1969年に広まった都市伝説「ポール死亡説」まで持ち出している。(余談だが、この曲が収録されたアルバムイマジンにはポールのアルバムラムのジャケット写真「羊と戯れるもの」をパロったポストカード「豚と戯れるジョン」が同封されていた。)
レコーディングには、ビートルズ末期にポールと最も不仲だったジョージも参加。また、この曲をレコーディングしている様子を記録した映像の中では、女性の性器を意味する卑語(「嫌な奴」、「バカな奴」の意味もある)をもってポールを呼んでいる(How Do You Sleep, you CUNT?)。
これには相手のポールが傷つくほど凹んでしまったようで、その年結成したウイングスのデビュー・アルバム『ワイルド・ライフ』に、この曲への返答と言われる「サム・ピープル・ネバー・ノウ」を収めた一方、「気持ちを整理して」書いた「ディア・フレンド」で仲直りをしようと呼びかけたほどだ。またレコーディング直後にこの曲を聞かされたリンゴは、「やり過ぎだ」とジョンを直接たしなめている。結局リンゴの忠告を受け入れ反省したジョンはその後、度々この曲をリリースしたことを悔やむ発言や、「結局は自分自身を歌った曲だった」などとフォローし、ジョンとポールの友情も少しずつ修復に向かっていったものの溝は完全に埋まらないまま、1980年12月8日のジョンの死を迎えてしまった。
ビートルズやそのメンバーのソロナンバーには、英米で放送禁止になったものがいくつかあるが、この曲は日本でも自粛という形で放送禁止になっている。ポールの「3本足」と「トゥー・メニー・ピープル」も自粛という形で放送禁止になっているが、日本の放送基準に引っかかるほどひどい内容の曲であるのが窺えよう。
[編集] 歌詞からの抜粋
- サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドについて
- 「『サージェント・ペパーズ』はお前にとって驚きだっただろうよ・・・」
- ポール死亡説について
- 「奴らはお前が死んだと言っていたが、そいつは正しかった・・・」
この他にも…
「その女々しい目ん玉を見開いてよく見るがいい」
「君を天才だとかなんとか祭り上げる俗物どもと暮らしてるんだろ」
「かあちゃんになんか言われるたびにビクビクしちゃってさ」
「お前がソロで活躍できるのは長く持っても1年だけだな」
「お前の作る音楽は僕の耳には雑音にしか聴こえない」
「お前の一番の失敗は、お前のその頭の中身だ」
「長年一緒だったから、進歩したのだと思ったのに…」
…など、かなり辛辣な非難が歌われている。今でもポールはこの曲のことを話題にされると露骨に嫌な顔をする。
カテゴリ: ジョン・レノンの楽曲 | ビートルズメンバーの楽曲 | 封印作品