ハリエット・スミスソン
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ハリエット・スミスソン(Henrietta Constance (Harriet) Smithson、1800年 - 1854年3月3日)は、アイルランド出身の女優。「ハリエット・スミッソン」とも表記される。
フランスの作曲家エクトル・ベルリオーズが、彼女への感情から『幻想交響曲』の着想を得たことで知られる。
[編集] 経歴
1800年、劇場のマネージャーの娘として生まれ、1815年にダブリンのクロウ・ストリート・シアターで舞台デビュー。3年後にはロンドンに進出したが、イギリスでは成功しなかった。
1928年、パリのオデオン座でシェイクスピア劇の公演を行い、『ロミオとジュリエット』のジュリエット、『ハムレット』のオフィーリアなどヒロインを演じ人気女優となった。ベルリオーズは彼女に猛烈な恋心を抱き、劇場へ通いつめ、頻繁に手紙を出したが振られてしまった。彼女に対して憎悪の念を抱くようになり、それらの感情から『幻想交響曲』を作曲した。
1930年、ベルリオーズはマリー・モークというピアニストに恋をした。その頃ベルリオーズはローマ賞第一等を受賞し、副賞として2年間のローマ留学が決まっていた。モークとは留学を終えたら結婚する約束をしローマへ旅立ったが、モークの母は娘をピアノ製作者の息子カミーユ・プレイエルに嫁がせた。ベルリオーズはモーク、母、プレイエルをピストルで撃ち殺し自分も死のうと馬車でローマからパリへ向かったが、途中で思い直した。
留学生活に復帰したベルリオーズは1832年5月、留学を終え南フランスの実家へ帰り、1832年11月、演奏会開催のため再びパリへ戻った。同じ頃、ハリエット率いる劇団もパリに滞在し、ハリエットはベルリオーズの演奏会に姿を見せた。『幻想交響曲』の続編である独白劇『レリオ、または生への回帰』初演。この劇はハリエットが涙を流すほどの強い衝撃を彼女に与え、1833年に2人は結婚。翌年には長男ルイが生まれた。しかし1840年頃から別居し、1854年に彼女が亡くなると、ベルリオーズはすでに同棲していた歌手のマリー・レシオと再婚した。