フィリピン航空434便爆破事件
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概要 | |
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日付 | 1994年12月11日 |
原因 | 巡航中の爆弾爆発 |
場所 | 沖縄県・南大東島附近上空 |
死者 | 1 |
負傷者 | 10 |
航空機 | |
機体 | ボーイング747-283B |
航空会社 | フィリピン航空 |
尾翼番号 | EI-BWF |
乗客数 | 273 |
乗員数 | 20 |
生存者 | 292 |
フィリピン航空434便爆破事件(英語:Philippine Airlines Flight 434)とは1994年(平成6年)に発生した航空テロである。このテロは日本の領空附近で発生したもので、日本人1名が死亡した。またこのテロは国際的テロリスト集団「アルカーイダ」が1995年1月21日に決行を予定していた、ボジンカ計画と呼ばれる航空機爆破計画の予行練習とされている。
目次 |
[編集] 事件の概略
フィリピン航空434便は1994年12月11日はフィリピンのセブを出発し、マニラ経由で日本の成田国際空港に向かっていた。東京まで2時間前であった午前11時43分、沖縄の南大東島附近上空31000フィートを巡航中、突如客室内の座席下に仕掛けられていた爆弾が炸裂し、その座席上に座っていた農機具メーカー社員であった日本人男性(当時24歳)が即死、附近に座っていた乗客10名も負傷した。客室乗務員は犠牲者に毛布をかぶせたが、爆発で床に0.2平方mの穴が開いていた。
434便は沖縄の那覇空港に1時間後に緊急着陸したが、床の操縦系統に損傷を受けていたためにスロット操作が困難であったが、無事に着陸した。
なお、爆発した席は26Kであったが、この位置は通常ボーイング747の胴体燃料タンクの真上であった。しかし事故機EI-BWFのタンクは特別仕様のため、わずかに後ろに取り付けられていたため、26Kよりも1列分後ろにタンクがあった。そのため、犯人は空中爆発させることで多くの乗客の生命を奪うつもりであったといえる。
[編集] 事件の背景
爆弾は腕時計を使った時限爆弾であり、爆発はテロリストによって引き起こされたものに間違いなかった。犯行を認める電話がAP通信マニラ支局にあった。しかし背景はすぐに判明しなかったが、この計画はフィリピン マニラにあった反政府イスラム教徒テロリストグループのアジトから1995年1月6日に、「ボジンカ計画」とよばれるテロ計画発見されたため、発覚した。また434便の事件の首謀者も1ヵ月後にパキスタンで逮捕された。
この計画は成田、ソウル、台北、香港、バンコク、シンガポールから11 機のアメリカ合衆国の航空会社の旅客機を爆破するというものであった。434便に仕掛けられた爆弾は身体検査を潜り抜けられるかという予行演習であり、この計画で使用する予定の爆弾の10分の1の威力であったという。