ヘンリー・フォンダ
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ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda, 1905年5月16日 - 1982年8月12日)は、映画俳優。アメリカ合衆国ネブラスカ州生まれ。
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[編集] プロフィール
クリスチャン・サイエンスの家庭に生まれる。フォンダの家系は、1500年代にオランダからイタリアに移住、1600年代にイタリアからアメリカに移民してきたという。
ミネソタ大学でジャーナリズムを専攻するが卒業はせず、母親の友人であったドロシー・ブランド(マーロン・ブランドの母親)の紹介で20歳の時にオマハで舞台に立つ。その後いくつかの舞台で活躍し、将来フォンダの妻となるマーガレット・サラバンや、同じく俳優を目指すジェームズ・スチュアートと出会っている。
フォンダとスチュアートは共にニューヨークに向かい、ルームメイトとして生活しながらブロードウェイで演技を磨く。フォンダは1926年から1934年までブロードウェイで活躍、1935年にヴィクター・フレミングの「運河のそよ風」で映画デビュー。その後 ヘンリー・ハサウェイの「丘の一本松」、ベティ・デイヴィスと共演した「或る女」「黒蘭の女」、フリッツ・ラングの「暗黒街の弾痕」、ジョン・フォードの「若き日のリンカン」など、数年の間に数々の話題作に出演。
1941年の「レディ・イヴ」出演後にアメリカ海軍に入り、3年の間、第二次世界大戦に従軍する。
戦後、それまで所属していたFOXとの契約が切れ、他のスタジオとの長期契約を嫌ったフォンダはブロードウェイに戻り、1948年に「ミスタア・ロバーツ」の主演でトニー賞を受賞した。
6年ほどハリウッドから離れた後、映画に復帰。映画版の「ミスタア・ロバーツ」やオードリー・ヘプバーンと共演した「戦争と平和」、ヒッチコックの「間違えられた男」などに出演。
1957年、「十二人の怒れる男」に出演、また初めて映画製作を手がけて高い評価を得た。
1960年代には多くの西部劇映画や戦争映画に出演。
70歳代になってもテレビや映画に出演、1981年に『黄昏』ではアカデミー主演男優賞やゴールデングローブ賞を受賞した。翌年1982年、77歳で心臓病により死去。
[編集] プライベート
ヘンリー・フォンダは生涯で5度結婚している。最初の妻のマーガレット・サラバンとは1933年に離婚。1936年に弁護士のフランシス・フォード・シーモアと結婚し、ピーターとジェーンの二人の子供をもうける。後に精神病を患ったフランシスは1950年に自殺。同年、舞台関係者のSusan Blanchardと結婚し、養女を一人取るが3年後に離婚。1957年、イタリアの貴族Afdera Franchettiと結婚し1961年に離婚。1965年に結婚した最後の妻Shirleyとは彼の死まで一緒であった。
[編集] 出演代表作
- 暗黒街の弾痕 You Only Live Once (1937)
- 黒蘭の女 Jezebel (1938)
- 怒りの葡萄 The Grapes of Wrath (1940)
- レディ・イヴ The Lady Eve (1941)
- 荒野の決闘 My Darling Clementine (1946)
- ミスタア・ロバーツ Mister Roberts (1955)
- 戦争と平和 War and Peace (1956)
- 間違えられた男 The Wrong Man (1956)
- 十二人の怒れる男 12 Angry Men (1957)
- 女優志願 Stage Struck (1958)
- ワーロック Warlock (1959)
- 史上最大の作戦 The Longest Day (1962)
- バルジ大作戦 Battle of the Bulge (1965)
- テキサスの五人の仲間 A Big Hand for the Little Lady (1965)
- 大脱獄 There Was a Crooked Man... (1970)
- エスピオナージ1 Le Serpent (1973)
- ミッドウェイ Midway (1976)
- メテオ Meteor (1979)
- 黄昏 On Golden Pond (1981)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ヘンリー・フォンダ Henry Fonda - 素晴らしき哉、クラシック映画!
- ヘンリー・フォンダ - 『海外映画俳優マガジン』内の情報
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