マリンガン打線
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マリンガン打線(-だせん)とは、2005年の千葉ロッテマリーンズの打線に付いた愛称。
[編集] 概要
1999年ごろ、当時NHK野球解説者だった石毛宏典が番組の中でロッテ打線を、横浜ベイスターズの「マシンガン打線」とロッテの球団名と掛け「マリンガン打線」と呼んだのが最初である。 だが当時は本塁打は少ないものの連打で繋ぐ点では共通していたが、当時の横浜とロッテではチーム力に差がありすぎたこと(横浜が1998年に日本一を達成したのに対し、同年のロッテは2年連続最下位だった)に加えネーミングが安易すぎるとして、この呼称は全くと言っていいほど定着しなかった。また、この頃のロッテの貧打はロッテのガムに因み「クールミント打線」と揶揄されるほどだった。
しかし2004年終盤より、ロッテの打線はかつての横浜のマシンガン打線を彷彿とさせるものとなり、2005年には再びマリンガン打線の呼称が全国で使われ始めて瞬く間に浸透した。
ボビー・バレンタイン監督は毎日違う打線を組んでいた(いわゆるボビーマジック)が、主な布陣は次のようなもの(括弧内は打席の左右、太字はベストナインに選出された選手、斜字はゴールデングラブ賞に選出された選手、斜太字は両方に選出された選手)。二人目はそのポジションで他によく起用された選手。
- 遊・西岡剛(両)・小坂誠(左)
- 二・堀幸一(右)・渡辺正人(右)
- 一・福浦和也(左)・李承燁(左)
- 中・サブロー(右)・ベニー(右)
- 捕・里崎智也(右)・橋本将(左)
- 右・ベニー(右)・諸積兼司(左)
- 左・フランコ(左)・大塚明(右)
- DH・李承燁(左)・フランコ(左)
- 三・今江敏晃(右)・初芝清(右)
この他百通り以上の打順が組まれた。
[編集] 特徴
- 通常特別な存在である四番打者を「4番目の打者」としてチャンスに強いサブローを、チーム首位打者の今江敏晃、チームホームラン王の李承燁を下位打線に据えるなど、上位下位が無く特定の打者一人に頼らない繋がりを意識した打線である。2005年シーズン、チーム打率は12球団トップの.282を記録した。
- 前日に決勝打を打つ、猛打賞を記録するなどで活躍した選手が翌日にはスタメン落ち、ということもよくあったが、それが逆に適度な休息とチーム内でのポジション争いを加熱させる事による戦力の底上げにもなっていた。
- 里崎智也と橋本将という違うタイプの正捕手が同時に二人存在した。相手先発投手の左右や自軍先発投手との相性などでスタメンマスクが毎日のように変わっていたが、両選手ともに好成績を残している。ボビーマジックと呼ばれるバレンタイン監督の独自の采配の一つ。
- 堀幸一、福浦和也、マット・フランコ、今江敏晃の4人は規定打席到達で打率3割以上を記録している。
- ゴールデングラブ賞受賞者が5人いる強固な守備陣も特徴の一つ。
- この打線は組み替えても得点能力が落ちないのは特筆すべきだろう。
この年には清水直行、渡辺俊介、小林宏之、ダン・セラフィニ、小野晋吾、久保康友と2桁勝利投手が6人おり、さらに薮田安彦、藤田宗一、小林雅英ら万全のリリーフ陣(いわゆる「YFK」)を備え圧倒的な強さを誇り、交流戦1位、日本シリーズ4連勝、アジアシリーズ優勝など全ての栄冠を手に入れた。
[編集] 2006年
2006年、李承燁、小坂らの退団はあったが大松尚逸らの台頭により新しいマリンガン打線の機能が期待されているが、以前の貧打線も頭をもたげてきており、橋本将・サブロー・今江敏晃らの打撃不振もありチーム打率は前年より二分以上低下している。さらに、その大松も不振に陥り、2軍落ちを経験するなど前年のような若手の台頭が少ない。
- 遊・西岡剛(両)
- 三・今江敏晃(右)
- 一・福浦和也(左)
- 左・ベニー(右)
- DH・フランコ(左)
- 捕・里崎智也(右)
- 右・大松尚逸(左)
- 中・サブロー(右)
- 二・堀幸一(右)
大塚明・ワトソン・パスクチ・青野毅・渡辺正人・塀内久雄らも多数出場。 一方、投手陣も小林宏之の故障、渡辺俊介の大不振、セラフィニの退団などで投打共に機能せず歯車がかみ合わず、4位に終わった。
カテゴリ: 打線 | 千葉ロッテマリーンズ