ミノックス
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ミノックス(Minox)とは、ドイツ連邦の光学機械メーカー「Minox GmbH, Wetzlar」社の通称、および同社の製造する小型カメラのブランド名。
ミノックス・カメラは、金属製ライターを引き延ばしたような形状の、わずか100mm強程度の大きさのカメラで、成人男性の掌に収まるほどに小さい。超小型カメラの代名詞として世界的に知られる。
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[編集] 歴史
1936年、ラトビアのリガに在ったVEF (Walsts Electrotechniska Febrikd)社で、アルフレッド・ツァップを中心とするチームによって開発された。
まもなく第二次世界大戦が始まり、ラトビアが1940年にソビエト連邦に併合されるなどでミノックスも混乱の影響を受けた。戦後、新生ミノックスは、ラトビア時代のかつてのVEFの責任者ビトルツ博士に権利金を支払ってミノックスの製造権を手に入れたが、破産した。このため、リンー家の葉巻会社からの資金援助を仰いで再建を図り、製造拠点を西ドイツのギーセン(Giessen)に移転してカメラ生産を開始した。拠点はその後、ウェツラーに移転している。
非常に小型のカメラであるが、一般の小型カメラに劣らない鮮明な写真が撮影でき、接写も容易であるなど優れた性能を備え、「スパイ・カメラ」として世界的に知られるカメラとなった。
ミノックス社は1995年には光学機器メーカーであるライカ社(「ライカ」カメラのメーカーとして著名)の傘下に入ったが、2004年にはライカから再独立した。現在も、レンズや露光計自動連動機構等の改良がなされたが、開発以来の基本機構を存続させたミノックス・カメラを製造し続けている。
[編集] 機構面の特徴
8×11mmの専用フィルムサイズで15mmの焦点距離を有する。小型化と高性能を両立させるため、様々なアイデアが取り入れられている。
スライド羽型のフォーカルプレーンシャッターは、横走り金属製の露光スリットをもった先行枠を、シャッター作動中とシャッターチャージの時に遮光を受け持つ後行枠が追尾し、シャッター動作中のみ同期して開く。シャッタースピードは、遮光幕スライド形式の歯車不使用のスプリングとシャッター・アンクルによるガバナー制御で、1/2sec.から1/1000sec.まで制御できる。
レンズについても、ゲルツ(Goerz)社から技術移転を受けた優秀なミノスティグマート・レンズ(Minostigmat 15mm F3.5、3群3枚)を、回折による画質低下を抑えるため常時開放(F3,5)で使用し、光量不足条件下においても補助光なしに文献複写が可能であった。さらに像面湾曲が大きくなるトリプレット型レンズの欠点を補正するため、フィルム面を収差に合わせて湾曲させたフィルム圧板を使用した。この圧板は極めて高度の精密加工技術を要する。レンズの性能はきわめて優秀であり、大倍率の引き伸ばしに堪える。ビルトインフィルター、焦点調節に連動するパララックス補正のファインダーも特徴である。
巻き上げはボディーのプッシュプル操作によるもので、速写性に優れている。フィルム送り自動補正機能(USPTO.Reg.2218966)(Cf:ドイツ特許登録番号698952:1940年11月20日:Kl.57a)は、偏心カムを用いた画面間隔の一定給送システムである。巻き上げ軸の頂に変形歯車が固定されていてスプリングの力で押されているが、操作桿が左に動き変形歯車の腕に接する時から軸の左回転が始まり、ラックが歯車と噛み合い回転を続け、回転を終え軸の回転角の量だけドラムがフィルムを巻き取る。
最初期に製造されたシリアルナンバー3000番初期のものは12の歯を有する現在のマガジンサイズより僅かに小さい菊の花びら状の巻取軸給送機構を有していたが、すべり易いため三本爪の巻取軸に改良し、そのまま現行品に受け継がれている。
[編集] 主要製品
- リガモデル(1937年発売)(製造台数約14,000)
- 1936年にプロトタイプが製造され、1937年に一般販売されたモデルである。ミノックスの基本モデルであり、露光計は別売された。レンズ、シャッター、フィルム給送機構、ファインダーパララックス補正機構等の基本機構は現行品と同一又は類似である。1940年8月以降はラトビアがソビエト連邦に併合されたため、「Made in USSR」のモデルが存在した。連続番号08300~12000番が該当する。
- II型=(1949年発売)(製造台数12,000)
- II型はドイツに移ってからのギーセン時代の1949年に、リガモデルを再生産(3群4枚テッサー型のコンプラン・レンズを装備、内部機構を改良)した。なお、フィルム安定目的で装着された第5レンズがフィルム面にすり傷を与えたり埃を付着させたりしたため、後期では外された。
- III型=(1951年発売)(製造台数12,000)
- II型の改良モデル。
- IIIs(A)型=(1954年発売)(製造台数87,000)
- III型にシンクロ接点を加えた。露光計は付いていないため掌中に収まるほどで、プロトタイプのリガミノックスとほぼ同一の大きさである。B型の発売後、A型と呼称された。
- B型=(1958年発売)(製造台数385,000)
- セレン光電池発電方式の連動する露光計が内蔵されているが、針を読み取りシャッター速度を手動で回転させて移し換える。セレン光電池の連動範囲が広く、使い易くなった。内蔵は4×(ごく初期のものは10×)のNDフィルターとグリーンのポートレート用のフィルター。フィルムの感度設定はシャッターダイヤルを1/100sec.の位置にして引き出して、裏面の歯車を回転させISO/DIN感度にあわせる。
- C型=(1969年発売)(製造台数174,000)
- 電子シャッター組み込み。絞りは常にF3.5開放のため、その絞り値での絞り優先AEとなる。最長露光時間は10秒。内部機構としては新設計の像面平坦型ミノックス・レンズを装着(最初期のC型はコンプラン・レンズ付)。ミノックス・レンズはコンプラン・レンズより周辺光量が多いため、ケラレが出ないようにボディーのレンズ窓がひとまわり大きくなった。ボディーサイズは120mmでリガミノクスの83mm, B型の98mmに比較して長くなったが、これはそれまでの超小型ガバナーの代わりに電子シャッターのマグネットや電池などが入ったためである。このため、デザイン上の観点から上面のシャッター速度と距離のダイヤルにフィルム感度ダイヤルを加えた。また、B型のフィルムが無駄送りされる問題点が改善された。アメリカ人ソ連スパイ、ジョン・ウォーカーが使っていたことで知られる。
- BL型=(1972年発売)(製造台数18,000)
- B型のセレン受光素子をCdS受光素子に換えたのが大きな改良点。C型が大きくなったため従来からのユーザーには不評で、その要望に応えたもの。上面は2ダイヤルに戻された。フィルムの無駄送り防止などはC型の機構を踏襲した。製造開始が第一次オイルショック後の不況期に当たったため各部の省力化が進められたと言われる。たとえば、ダイヤルの文字はそれまで刻印されていたが、BL型の途中から片側のダイヤルはプリントになっているため使用しているうちに消えてくる場合がある。
- LX型=(1978年発売)(製造台数35,000)
- 絞り優先式AEで電子シャッターを搭載。AEの場合シャッター速度は15sec.~1/2000sec.まで完全連動する。特に高速度シャッターは超小型カメラの大敵である手ぶれ防止に効果がある。電子回路もC型より一段と改良された。ボディー長108mm,90g.手ぶれ防止ランプと電池の電位の低下の警告ランプ・露出オーバー警告ランプが附された。ミノックスは実質的にLXで完成したと見て良い。
- EC型=(1981年発売)(製造台数145,000)
- f5.6固定焦点の自動露光連動の電子シャッター機。アマチュア写真愛好家向け。ミノックス初の低価格普及機であったが好評で、B,C型に次ぐ台数が製造された。
- AX型=(1992年発売)(製造台数1,222)
- LX型の外装で手動式。完全メカニカルシャッター機。高級志向のハイレベルのユーザー向けに限定販売された。
- TLX型=(1996年発売)現行品
- LX型の後継機。チタン仕上げ。電子シャッター回路を改良し耐久性の向上を図った。
- MX型=(1998年発売)現行品
- 日本のAcmel-MDの改良型でAcmelのAEシャッターを単速1/125sec.とし、距離計機能はそのままの機構を有する普及機。
- CLX型=(1999年発売)現行品
- LX型をベースとし、ボディーは真鍮製でハードクロームメッキの、外装のみを高級化した改良機種。重量150g。