メルシーアトラ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1987年4月4日 |
死没 | 1991年3月31日 |
父 | サウスアトランティック |
母 | マミーブルー |
生産 | 三石ファーム |
生国 | 日本(北海道三石町) |
馬主 | 永井康郎 |
調教師 | 小野幸治(栗東) |
競走成績 | 11戦5勝 |
獲得賞金 | 1億4009万1400円 |
メルシーアトラ(1987年4月4日-1991年3月31日)は日本の競走馬。その高い潜在能力から「関西の秘密兵器」と呼ばれたが、1991年の大阪杯のレース中に骨折、安楽死の処置がとられた。母は京成杯3歳ステークスを勝ったマミーブルー、弟にアーリントンカップ、毎日杯を勝ったメルシーステージがいる。
[編集] 戦績
北海道三石町の三石ファームで生まれる。若駒の頃から大器と目されていたが体質が弱く、競走馬としてのデビューは4歳になってからだった。デビュー初戦こそ2着に敗れたものの、その後は2戦目の新馬戦、500万下条件戦、オープン戦の若草ステークスまで3連勝を飾り、当時東高西低だった競馬界の勢力図を反映してか「関西の秘密兵器」という渾名を付され、日本ダービーに出走した。そのダービーでは22頭立てで5番人気に推され、11着となった。続く中日スポーツ賞4歳ステークスを4着とした後、函館でダートのオープン戦シーサイドステークスに勝利。秋になって京都新聞杯、菊花賞をそれぞれ3,4着としたが、夏場に休養しなかった事を考慮され、この年は菊花賞が最後のレースとなった。
年明け初戦の日経新春杯でミスターシクレノンに1馬身半差をつけ、重賞初勝利を飾る。いよいよ本格化かと期待された次走大阪杯では、同期でクラシック戦線を賑わせたホワイトストーンに続く2番人気に推された。しかしレース中、4コーナーで左前中手骨を開放骨折、予後不良と診断され安楽死処分となった。
体質の弱さがありながらも常に安定した成績を残し、これからが活躍の時という矢先の死は、関係者やファンのみならず相手陣営からもその存在を惜しまれる事となった。
[編集] 血統表
メルシーアトラの血統 (ミルリーフ系 / Nasrullah (4×5)×(4×4) = 21.875%、Nearco (5×6)×(5×5×5) = 14.0625%、Princequillo 4×5(父系) = 9.375%) | |||
父
*サウスアトランティック South Atlantic 1980 鹿毛 |
Mill Leaf 1968 |
Never Bend | Nasrullah |
Lalun | |||
Milan Mill | Princequillo | ||
Virginia Water | |||
Arkadia 1969 |
Ribot | Tenerani | |
Romanella | |||
Natashka | Dedicate | ||
Natasha | |||
母
マミーブルー 1970 鹿毛 |
*ネヴァービート Never Beat 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Glass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
*リーガルローブ Regal Robe 1958 鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah | |
Blue Gem | |||
Brocade | Borealis | ||
Gold Lily |
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