メルシーステージ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1991年4月17日 |
死没 | 1998年11月 |
父 | ステートジャガー |
母 | マミーブルー |
生産 | 三石ファーム |
生国 | 日本(北海道三石町) |
馬主 | 永井康郎 |
調教師 | 小野幸治(栗東) |
競走成績 | 29戦5勝 |
獲得賞金 | 1億7354万8000円 |
メルシーステージ(1991年4月17日-1998年11月)は日本の競走馬。「孝行馬」として知られる。母は京成杯3歳ステークスの勝ち馬マミーブルー、兄に日経新春杯を勝ったメルシーアトラがいる。
目次 |
[編集] 戦績
[編集] デビュー
北海道三石町の三石ファームで生まれる。3歳(以下馬齢は旧表記とする)時は7戦して1勝、2着が4回あったものの、その時点では特筆すべき能力や話題性を持つような馬ではなく、4歳になって初戦の500万下条件戦でも4着に敗れていた。しかしその20日後、こぶし賞を勝ってから突如として別馬のような走りを見せ始め、続くオープン戦のバイオレットステークスを圧勝、アーリントンカップで重賞を初制覇し、こぶし賞から数えて4戦目の毎日杯ではレースレコードで4連勝を達成し、一躍クラシック戦線の中心の一頭となる。また、兄・メルシーアトラの悲惨な事故死、後述する父・ステートジャガーが行方不明という境遇などがある種の悲劇性を釀し出し、背景という意味での話題性では世代のトップクラスに躍り出た。
[編集] 父親探し
重賞2連勝を含む一気の4連勝が競馬関係者に強くアピールし、毎日杯のレース後、それまで行方が分からなくなっていた父・ステートジャガーの行方捜しがされる事となった。現役時代、宝塚記念に出走した際に禁止薬物が検出されて引退したステートジャガーは、その後種牡馬となるも繁殖牝馬が集まらず廃用となり、岐阜の乗馬クラブで余生を送っていた。そこにメルシーステージの活躍により種牡馬復帰の話が持ちかけられ、大人しい性格から奇跡的に去勢を免れていたステートジャガーは、種牡馬として再び供用される事となった。これによりメルシーステージは「孝行息子」として競馬ファンに認知されるようになった。
[編集] その後
クラシック本番の皐月賞は13着に敗れた後、続く日本ダービーでも17着と惨敗、その後も2着が2回あるもののほとんどのレースで惨敗を繰り返し、結局毎日杯以後は17戦して二桁着順が11回と、4連勝が幻であったかのような成績しか残せずに1997年に引退。引退後は行き先が決まっていなかったが、その「親孝行」に感銘を受けた青森の牧場主が身元を引き受ける事となり、そのまま青森で種牡馬として供用される事となった。しかし元々体質が弱かった事もあり、1頭の産駒も残せないまま、翌1998年11月に死亡した。
ステートジャガーは2頭しか産駒を残しておらず、そのうちの1頭がメルシーステージであった。競馬関連の書籍などでは、4連勝後の惨敗の連続から「父親を捜すために懸命に走り、それが達成されたから気が抜けたのだ」といった擬人的な描かれ方をされる事が多い。メルシーステージの活躍により種牡馬に復帰したステートジャガーは、その後しばらく青森で種牡馬として供用されていたがメルシーステージに続く仔を出せず、現在は再び行方不明になっている。
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