ヤクザ映画
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ヤクザ映画(ヤクザえいが)とは、ヤクザを主役とする映画。もしくは日本におけるヤクザ・暴力団の対立抗争や任侠道などをモチーフとする映画カテゴリーである。
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[編集] 時代劇ブームの終焉
日本の映画界では1950年代、未曾有の時代劇ブームが巻き起こった。しかし1961年と1962年に、無精髭を生やした三船敏郎主演の本格時代劇「用心棒」、「椿三十郎」が大ヒットすると一変した。従来の時代劇は浪人も貧しい町人もヤクザも きれいな厚化粧をしており、刀で斬っても血も音も出ない歌舞伎調のものであったが、それらの作品の客足は みるみる減っていったのである。特に観客動員No.1を誇り「時代劇の東映」と言われた東映は、他社のように現代劇でカバーできず、深刻な影響を受けた。1963年に鶴田浩二主演の「人生劇場 飛車角」が大ヒット。その後、思い切って方針転換、ヤクザ映画会社に変貌を遂げた。従来型の時代劇はテレビ用に制作、映画館用には本格ヤクザ映画を作り、観客動員No.1に返り咲いた。
[編集] 起源
やくざ自体を主題とするものは股旅物といわれる長谷川伸の「瞼の母」や尾崎士郎の「人生劇場」などがあったが、1960年代から始まったヤクザ映画はドラマ以前に より“図式的な対立の構図”を前面に出していくようになった。これは戦前の大衆芸能が完全に廃れ高度成長期において観客も娯楽としての映画に“分かり易いプロット”を好んだ結果とされる。戦後、現代的なヤクザを演じる映画が作られるようになり、三船敏郎の酔いどれ天使(1948)や女ヤクザ映画の元祖、久保菜穂子の女王蜂シリーズ(新東宝1958)が話題を集める。
[編集] 東映任侠路線
各映画会社により特色があるが質量共に「東映ヤクザ映画」が他を圧倒した。60年代半ば以降はどの映画会社も空席が目立つようになったが、東映には深夜まで多くの観客が押し寄せた。内容ではチョンマゲを取った時代劇と言われる「任侠映画」路線と実話を元にした「実録映画」路線、それ以降に区分される。これらは ほぼ全て岡田茂(のち東映社長)と俊藤浩滋の両プロデューサーコンビによって製作された。
任侠路線は義理と人情に絡んだ人間模様を描き「人生劇場」シリーズに始まり、「総長賭博」や「昭和残侠伝」、「日本侠客伝」、「網走番外地」、「緋牡丹博徒」シリーズで頂点を迎えた。俳優は鶴田浩二、高倉健、若山富三郎、藤純子(現・富司純子。寺島しのぶの母)、北島三郎、村田英雄らが主役になり、嵐寛寿郎、河津清三郎、水島道太郎、池部良、丹波哲郎、待田京介、長門裕之、藤山寛美、大木実、天知茂、宮園純子、内田朝雄、天津敏、渡辺文雄、曽根晴美、遠藤辰雄、山本麟一らが脇を添えた。マキノ雅弘、小沢茂弘、石井輝男、山下耕作らがメガホンを取った。
[編集] 東映実録路線
社会の混乱から情報を欲しがった大衆が週刊誌などのジャーナリズムにより嗜好を選択できるようになっていた70年代の映画界は最盛期の10分の1まで観客動員は落ち込んでいた。1973年、「ヤクザ映画」の金字塔ともいうべき菅原文太の「仁義なき戦い」(笠原和夫脚本、深作欣二監督)シリーズが大ヒットすると東映は やくざ同士の対立を“現実の事件に引き寄せ”た実録路線を興行の柱とした。高い観客動員力があるにもかかわらず、ヤクザを美化しすぎていると非難され、社会的地位が低く、映画賞から全く無視されつづけていたヤクザ映画だが、実話を基に作られた「仁義なき戦い」は各界から絶賛され、映画作品賞を受賞、菅原文太も主演男優賞を受賞した。現在でも今でも日本映画史上のトップ3に選ばれる傑作として知られる。共演した松方弘樹、北大路欣也、金子信雄や室田日出男、川谷拓三、志賀勝ら「ピラニア軍団」も注目を浴びるようになった。後に八名信夫を中心とする悪役商会も有名になる。 この後、佐分利信、三船敏郎らが主演した「日本の首領」シリーズ等の大作志向を経て80年代以降は岩下志麻、かたせ梨乃主演の「極道の妻(おんな)たち」シリーズなどが女性客を動員、ビデオなどのソフト販売のマーケット志向となった。
[編集] 松竹・東宝
ジリ貧のホームドラマの松竹は渥美清がTVでやっていたテキヤが主人公の「男はつらいよ」を1969年に映画化し成功。ヤクザ臭のない松竹得意のほのぼのとした人情喜劇とし、1990年代まで続くロングシリーズとなった。 何をやっても当たらなくなっていた東宝も遂に1971年ヤクザ映画を作る。東映の倍以上の予算をかけ仲代達矢主演(脇には他社では主演級の安藤昇、丹波哲郎、江波杏子らをそろえた)の大作「出所祝い」を上映するが、同時期に東映が上映した高倉健の「昭和残侠伝 吼えろ唐獅子」の前に惨敗した。
[編集] 日活・大映
深刻な客離れにあった日活は石原裕次郎、小林旭、高橋英樹、渡哲也、野川由美子らを主演にしたヤクザ映画を量産したが、いずれも東映ヤクザ映画の人気には遠く及ばなかった。大映は、江波杏子の女賭博師シリーズや勝新太郎の「座頭市」シリーズ、「悪名」シリーズがヒットしたが、「悪名」に出ていた田宮二郎が1968年に大映を離れ、翌年に「若親分」シリーズの市川雷蔵が病死した頃には苦境に陥るようになっていった。ヤクザ映画ブームの流れに乗り、延命のためヤクザ映画を市場へ供給した両社だが、1971年には日活はポルノ映画会社に転進、大映は倒産。そんな中にも渡哲也の「大幹部」シリーズなどの隠れた傑作もあった。
[編集] その後
大映の残党はテレビ映画で「木枯し紋次郎」(中村敦夫主演)という傑作を生んだ。そして「座頭市」シリーズはテレビ映画として復活することができた。
低予算映画のための製作組織である東映セントラル(現在の東映ビデオ)でも松田優作らが活躍したプログラムピクチュアの題材として「やくざ」は選ばれなかった。現在の東映ではヤクザ映画の製作は脇に追いやられ「Vシネマ」としての製作供給が大きな比重を占めている。今では、独立系のビデオ映画の制作会社が多数設立され、哀川翔、竹内力、松方弘樹、小沢仁志、清水健太郎、中条きよし、白竜、清水宏次朗、的場浩司らの低予算のヤクザ映画が量産されている。そこには金融ヤクザ映画とも呼ぶべき新ジャンルも存在する。
石井輝男、鈴木清順や藤田敏八らの独特の美学やエスプリを利かせた映画群や東映の二本立てで公開された梅宮辰夫の「不良番長」や千葉真一の「地獄拳」、梶芽衣子の「さそり」などのストリームも含まれるが、これらを「アクション物」とする場合もあり曖昧さは残る。
日本のヤクザ映画は海外でも注目を集め、その影響を強く受けた映画も登場した。ハリウッドではロバート・ミッチャム、高倉健主演のザ・ヤクザ(1974)を制作。影響を受けた映画監督は、米国、フランス、イタリア、香港、台湾、韓国など世界中に及ぶ。その代表的な監督はクエンティン・タランティーノ。
[編集] 外部リンク
- 「暴動シネマ刑務所」