ロジャー・バニスター
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ロジャー・バニスター(Sir Roger Gilbert Bannister、1929年3月23日 - )は、イギリス・ロンドン出身の陸上競技選手。
1954年5月6日、オックスフォード大学のイフリー・ロードのトラックで、1マイルを3分59秒4で走り、世界で初めて1マイル4分を切る記録を打ち立てたことで知られる。
バニスターはその後神経学者となり、医者としての輝かしい貢献によって、1975年にナイトの爵位を受けた。
1948年のロンドンオリンピックはトレーニングと医学研究に専念するため出場を辞退。1952年のヘルシンキオリンピックでは1500メートル走で4位に終わっている。
2000年、『ライフ』誌が選出した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に、陸上競技選手で唯一選ばれた。
2004年、50周年を記念してイギリスで50ペンス記念硬貨が発行された。画像
[編集] 1マイル4分の壁
1923年にフィンランドのパーヴォ・ヌルミが1マイル4分10秒3の記録を樹立。それまで37年間も破られずにいた記録を2秒も更新する驚異的な世界記録だった。もうこれ以上の記録は出せないだろうと専門家は断言し、1マイル4分を切ることは人間には不可能というのが世界の常識とされていた。世界中のトップランナーたちも「1マイル4分」を「brick wall(れんがの壁)」として「超えられないもの」と考え、エベレスト登頂や南極点到達よりも難しいとさえ言われていた。
しかし、オックスフォード大学医学部の学生であったバニスターは、トレーニングに科学的手法を持ち込み、自分のコンディションを科学的に分析した。そして、2人のチームメイトをペースメーカーにして4分の壁を破った。
46日後の1954年6月21日、フィンランドのトゥルクで、ライバルだったオーストラリアのジョン・ランディが3分58秒で走り、バニスターの記録は破られた。その後不思議な事に、1年後までにランディを含め23人もの選手が「1マイル4分」の壁を破った。最初から絶対無理だと決めてかかっていたことが原因で、実際に記録を破る力があっても力を出し切れないまま失敗していたのである。この事例は、メンタルトレーニングの分野でよく取り上げられる。
[編集] 関連項目
- ヒシャム・エルゲルージ (現在の1マイルの世界記録3分43秒13を保持しているモロッコの陸上選手)