ロバート・セント・ジョン
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ロバート・セント・ジョンはアメリカのジャーナリスト。
無名のジャーナリストでシセロ・トリビューン紙という新規開発事業を始める。紙面でアル・カポネ一味の及ぼす悪影響を批判し続けた。
シセロ・トリビューン紙はカポネの支配する町政に圧力をかけられて広告が日々減少していた。そこで大胆な暴露記事で逆襲することにした。セント・ジョンはカポネの経営する売春宿に客として入り、売春婦からカポネの詳しい事を聞き記事にした。この暴露記事がシセロ・トリビューン紙に掲載されると、大反響を生んだ。わがもの顔のカポネ一味に対して、公正な考えを持つ市民が委員会を結成し、カポネ一味の売春宿に放火する事件があった。
売春宿を放火されたことに、怒ったラルフ・カポネは、さらに暴露記事が出るまえに部下を使いセント・ジョンを暴行し、新聞の主筆をつとめる彼の弟のアーチャーを誘拐して監禁した。アーチャーは無事に家路に着くが、恐怖からしばらく震えがとまらなかったという。セント・ジョンは一週間ほど入院した。退院するとき入院治療費を払おうとしたところアル・カポネが彼の治療費を払っていた。翌日、セント・ジョンはシセロの警察署の一室でアル・カポネと会った。そこでアルはセント・ジョンに兄のラルフたちが暴行したことを謝罪してこの件を金で解決しようとしたが、セント・ジョンは受け取らずに部屋を出て行った。
その後、アル・カポネがシセロ・トリビューン紙の新聞社の出資者たちに圧力をかけて権利を買い取った。セント・ジョンは新聞会社を辞め、シセロ市からも出て行った。その後、海外特派員やニュースキャスターになったが、シセロにもどることは2度となかった。
後年にはアル・カポネとアドルフ・ヒトラーの戦術を比較した。