ロードス島の巨像
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ロードス島の巨像(ロードスとうのきょぞう、Colossus of Rhodes)は、紀元前3世頃にリンドスのカレスによってロードス島に建造された、太陽神ヘリオスをかたどった彫像(コロッソス)。世界の七不思議の一つ。
全長は34メートル。台座まで含めると約50メートルになり、現代のニューヨークの自由の女神像に匹敵する大きさであった。ヘリオスは同じ太陽神のソルやアポロン(ローマ名アポロ)と混同されたため、アポロの巨像とも呼ばれる。
また、日本ではヘリオスの巨像やロードスの巨像などとも表記されるほか、ロードス島は古典ギリシア語ではロドス島とするのが正確であるため、ロドス島の巨像あるいはロドスの巨像とも表記される。
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[編集] 建造に至る経緯
紀元前323年、アレクサンドロス3世が死亡。彼には後継者が存在しなかったため、マケドニア帝国は有力な将軍たちによって分裂し、ディアドコイ戦争に突入した。この戦争において、ロードスはエジプトを領するプトレマイオス1世に協力した。
プトレマイオスの対抗者であるアンティゴノス1世は、紀元前305年、息子のデメトリオスに40,000の軍を率いさせてロードスへ派遣した。城壁で囲まれたロードスの防備は固く、デメトリオスは攻城塔を作って接近しようとした。まず、6隻の船に攻城塔を搭載して送り出したが、嵐のために接近できなかった。デメトリオスは、ヘレポリス (Helepolis) と名づけたさらに大型の攻城塔を建設し、これを陸上からロードスへ送り込んだ。しかし、城内から出撃したロードスの守備隊が、城壁に到達する前にヘレポリスを阻止した。紀元前304年、プトレマイオスの派遣した軍隊がロードスに到着、デメトリオスは大いに慌て、急いで軍を引き揚げさせた。あまりにも急な撤収だったため、多くの装備が置き去りにされていた。なお、デメトリオスはロードスの征服には失敗したが、他の都市を多く包囲、陥落させたため、ポリオルケルテス (Poliorcetes、ポリス攻囲者) と呼ばれた。
ロードスの人々はこの勝利を祝い、太陽神ヘリオスへの感謝の証として彫像を作ることとした。建造の指揮はリンドスのカレスに任された。彼は20メートルを超えるゼウス像を建造したリュシッポスの弟子だった。また、かつて大彫像の制作に関わったことのあるロードスの住民も協力した。
[編集] 構造および顛末
古代の記述に拠れば、ロードスの巨像は以下のようなものだった。まず、ロードスの港の入り口付近に、高さ15メートル (50フィート)の大理石製の台座を設置した。その台座の上に鉄製の骨組みを作り、さらに薄い青銅板で外装を覆った。外装はデメトリオス軍の遺棄した武器や攻城塔を鋳潰したものが使われた。建造には盛り土の傾斜路を利用し、組み立てが進むにつれて、傾斜路の高さを調節して対応していたと考えられている。彫像自体の高さは34メートル(110フィート)、台座を含めると約50メートルに達した。
巨像が完成したのは着工から12年後の紀元前284年であった。しかし、58年後の紀元前226年にロードスで地震が発生、巨像は膝から折れて倒壊した。プトレマイオス3世は再建のための資金提供を申し出たが、ロードスの住民は神に似せた彫像を作ったことが、神の怒りに触れたのだろうと考え、再建を拒否した。巨像は800年間にわたってそのまま放置され、その間に残骸を見物するために多くの人が訪れた。大プリニウスの記述に拠れば、巨像の脱落した親指に腕を回せるものはわずかしかおらず、また指だけでもほとんどの彫像より大きかったという。
654年、ムアーウィヤの軍がロードスを征服した。テオファネスの記述に拠れば、この時巨像の残骸はエデッサの商人に売却されたという。商人は彫像を破壊して青銅のスクラップにし、900頭のラクダの背に積んで持ち去った。
[編集] 伝説
こうしてロードスの巨像は残骸すら消失した。7世紀以降の人間はその姿を想像するしかなく、その過程で多くの誤解や伝説が生まれた。その最たるものは、巨像は港口をまたぐポーズをとっていたという伝説である。この場合は港口の防波堤の両端に台座を設置していたことになる。従来はこの説が広く信じられており、本稿の画像もこの説に基づいている。しかし、現在の研究では、港口をまたぐポーズは全長が大きくなりすぎ、耐久性も弱くなるため不可能だと考えられている。
シェイクスピアは「ジュリアス・シーザー」の中で、シーザーにこの伝説に基づいた以下のような台詞を言わせている。
“Why man, he doth bestride the narrow world
Like a Colossus, and we petty men
Walk under his huge legs and peep about
To find ourselves dishonourable graves.”
また、エマ・ラザラスは、ニューヨークの自由の女神像に刻まれた「The New Colossus」という詩の中で、ロードスの巨像と自由の女神像を対比している。この詩もまた伝説に基づき、巨像が港口をまたいだ姿で描写している。
“Not like the brazen giant of Greek fame,
With conquering limbs astride from land to land”
[編集] 現代の巨像
巨像の再建に関する議論は以前から存在する。再建がなればロードスの観光事業に大きな影響を与えることが予想されるが、そのために必要な費用は高額である(100万ユーロ以上ともいわれる)。1970年代に何度かこの提案が持ち上がったが、そのたびに資金不足を理由に断念している。
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