ワシリー・レオンチェフ
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ワシリー・レオンチェフ(Wassily Leontief, Василий Васильевич Леонтьев, 1906年8月5日 - 1999年2月5日)は経済学者。1つの経済部門の変化が、他の部門にどのような効果をもたらすか、という研究(産業連関分析)で有名である。1973年にノーベル経済学賞を受賞した。
レオンチェフはソヴィエト連邦のレニングラード(現ロシアのサンクト・ペテルブルグ)で、経済学教授であるワシリー・W・レオンチェフとユージニアとの間に生まれた。1921年に15歳でレニングラード大学に入学し、哲学と社会学を学んだ。その後経済学を学び、1925年に19歳で経済学修士号(文学修士と同等)を得た。
彼は共産主義への抵抗のため、何度か逮捕された。
彼は1925年にソ連を離れることを許されたため、東ベルリンのフンボルト大学で研究を続け、1929年に投入産出分析と経済学の専攻で経済学博士号を得た。
1927年から1930年まで、彼はキール大学の世界経済学研究所で働いた。そこで彼は、統計による需要供給曲線の導出を研究した。1929年には、アドバイザーとして鉄道省を支援するため、中国を旅行した。
彼は1931年にアメリカ合衆国へ渡り、経済調査の国立事務局に雇用された。
1932年にレオンチェフは詩人のエステル・マークスと結婚した。彼等のただ一人の子供であるスヴェトラナ・レオンチェフ・アルパースは、1936年に生まれた。
ハーバード大学は、これと同じ1932年に、彼を経済学部へ雇い入れた。1946年に、彼は経済学の教授になった。
レオンチェフは1948年にハーバード経済調査事業を立ち上げ、1973年までその所長にとどまった。1965年から、彼はハーバード協会の議長を務めた。
1975年から1999年までニューヨーク大学の教授を務めた。
レオンチェフは1999年2月5日に、アメリカのニューヨークにおいて、93歳で死去した。
彼がマス釣り、バレエおよび良質のワインを楽しんだことは知られている。
[編集] 研究
レオンチェフはAbba Ptachya Lernerと同様に、Wilhelm Launhardtsのタームズ・オブ・トレード(交易条件)に対する予測を改良した。
レオンチェフは投入-産出分析を発展させ、その手法を彫琢して重要な経済上の問題に適用したことによって、1973年にノーベル経済学賞を受賞した。投入-産出分析の研究の中で、彼は米国が主に労働集約的に生産された財貨を輸出することを1953年に発見した。これは、資本に富む国である米国が高い資本濃度とともに財貨を輸出することから推論されるヘクシャー=オリーンの定理と矛盾する。これを「レオンチェフのパラドックス」という。
レオンチェフ生産関数は、彼にちなんで名づけられた。
カテゴリ: ロシアの経済学者 | ノーベル経済学賞受賞者 | 1906年生 | 1999年没