ワレンティナ・エゴロワ
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女子 陸上競技 | ||
金 | 1992 | マラソン |
銀 | 1996 | マラソン |
ワレンティナ・エゴロワ(Valentina EGOROVA、1964年2月16日 - )は、ロシア出身の元女子マラソン選手である。1990年代前半から後半にかけて活躍した。日本のマラソン大会にも何度か出走しており、日本でもお馴染みのマラソンランナーだった。
1992年のバルセロナオリンピックは、レース中盤で集団から抜け出してトップに躍り出る。レース後半の30Km過ぎに、有森裕子に追いつかれると、その後モンジュイックの丘へ駆け上がる急激な登り坂で、壮絶なデッドヒートを演じた。陸上競技場へ入る直前、残り1Km付近でのラストスパートで有森を引き離し、有森と8秒差で金メダルを獲得した。
1996年のアトランタオリンピックは、中間点前で飛び出し独走となったファツマ・ロバについていかず、2位集団で有森裕子らと集団待機となる。30Kmで有森がスパートすると、エゴロワも間もなくして集団を抜け出し、その後有森をかわしたものの、結局金メダル獲得のロバには追いつく事が出来なかった。しかし、五輪で二大会連続メダルとなる銀メダルを獲得した。
2000年のシドニーオリンピックにも出場したが、既に全盛期を過ぎた事も有り、メダル争いには加われないまま途中棄権に終わった。
余談ではあるが、ロシアという国は旧ソビエト連邦時代から東西に広大な領土を有しており、東西の端から端までの時差は半日近くにもなる。そのため、アトランタ五輪後、国家がまだ混乱状態にあったということもあるが、オーストラリアとの時差が小さい日本に練習の拠点を構え、日本の企業のチームに属してさまざまな競技会に参加し、体を慣らしていった。もちろんそれはシドニー五輪出場のためであったのだが、これがきっかけで日本に多くのファンを有することとなったのである。又TBSの『オールスター感謝祭』の「赤坂5丁目ミニマラソン」にもゲストランナーとして数回出走、人気を博していた。そして、彼女自身のラストランに長野マラソンを選んだのも、支えてくれた日本のファンに対する御礼の意味もあったのかもしれない。
[編集] 主な戦績
- 自己ベストタイム 2時間23分33秒(1994年ボストンマラソン2位)
- 1992年 バルセロナオリンピック 金メダル 2時間32分41秒
- 1996年 アトランタオリンピック 銀メダル 2時間28分05秒
- 2000年 シドニーオリンピック 途中棄権
- 東京国際女子マラソン(1990年4位、1991年2位、1992年4位、1993年優勝、1994年優勝、1995年2位、1999年3位)
- 大阪国際女子マラソン(1990年3位、1997年途中棄権)
- 名古屋国際女子マラソン(1996年3位、1998年5位、2001年11位)
- 長野オリンピック記念 長野マラソン(1999年優勝、2000年2位、2001年途中棄権、2004年2位)
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