ワーテルロー
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ワーテルロー(Waterloo)は、ベルギー中部のブラバン・ワロン州の小都市。人口2万9315人、面積21.03 km²。英語読みはウォータールー。ワーテルローの戦いで知られる。
地名の由来は古いオランダ語で、waterは水、looは森を意味する。
ブリュッセル南南東16 kmの丘陵地に位置し、ブリュッセルの通勤圏となっている。住民の4分の1は外国人で、主にブリュッセルのEU本部に勤めている。
ヴィクトル・ユゴーが近郊のホテルで『レ・ミゼラブル』を執筆した。
ベルギー最古・最大のインターナショナル・スクールであるセント・ジョーンズ・インターナショナル・スクールがある。
[編集] ワーテルローの戦い
1815年7月18日にナポレオン・ボナパルト率いるフランス帝国軍が同盟軍(イギリス・プロイセンなど)に大敗した戦いが「ワーテルローの戦い」と呼ばれる。ただし、ワーテルローは戦場ではなく、イギリス軍の司令部の所在地で、「ワーテルローの戦い」の命名者もそのイギリス軍の司令官ウェリントン公である。実際の戦場の名を取り、「モン・サン・ジャンの戦い」「ラ・ベル・アリアンスの戦い」とも呼ぶ。
ワーテルロー南南東5kmのモン・サン・ジャン(Mont Saint Jean)には、フランス軍の大砲を溶かして作られた記念碑、通称「ワーテルロー・ライオン」があり、ライオン像がフランスを向いている。記念碑のある人工の丘は「ライオンの丘」(Butte du Lion)と呼ばれる。丘には階段で登ることができ、観光名所となっている。