三保ヶ関部屋
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三保ヶ関部屋(みほがせきべや)は日本相撲協会所属の相撲部屋。
大坂相撲から続いている相撲部屋。1946年の先々代逝去後、弟子たちは出羽海部屋に預けられた。三保ヶ関部屋およびその分家が現在出羽海一門なのはこのためである。(それ以前は、出羽海部屋の力士との対戦もあった)先代師匠(元大関・増位山)が1950年に引退後、再興した。しばらくは小部屋状態であったが、北の湖敏満が横綱になり、一躍有力部屋の仲間入りをした。先代師匠は他に、長男の増位山と北天佑を大関に育てた。1984年11月に先代師匠が定年となり、長男(当時、年寄小野川)が部屋を継承した。当代師匠は、名門日本大学相撲部にて学生相撲で活躍した濱ノ嶋啓志、肥後ノ海直哉、増健亘志、エストニア出身の把瑠都凱斗らをスカウトし、関取に育てた。
三保ヶ関部屋からは、北の湖部屋、二十山部屋(二十山死去で北の湖部屋に吸収)、木瀬部屋、尾上部屋が独立している。
目次 |
[編集] 師匠
[編集] 横綱
- 北の湖敏満(北海道)
[編集] 大関
[編集] 幕内
- 関脇
- 闘竜賢二(兵庫)
- 小結
- 平幕
- 大竜川一男(前頭筆頭・兵庫)
- 肥後ノ海直哉(前頭筆頭・熊本)
- 吉王山修(前頭2・熊本)
- 把瑠都凱斗(前頭4・エストニア)尾上部屋へ
- 大位山勝蔵(前頭12・兵庫)
- 増巳山豪(前頭13・兵庫)一時出羽海預かり
[編集] 十両
[編集] 幕内優勝力士
[編集] 所属年寄
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