井上正辰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 正辰(いのうえ まさとき、元文元年(1736年) - 宝暦10年5月27日(1760年7月9日))は、江戸時代の大名。常陸国下妻藩の第3代藩主。美濃国郡上藩主・金森頼錦の次男。正室は太田資晴の娘。官位は従五位下、遠江守。
宝暦3年(1753年)、先代藩主の井上正敦の死去により、その養嗣子として後を継いだ。同年12月に叙任する。宝暦9年(1759年)7月、農民による愁訴事件が起こり、それが幕府にも知られて治世不良のために出仕を拒まれた。それが失意となったのか、翌年5月27日に25歳の若さで他界し、後を長男の井上正意が継いだ。法号は、勧学日了義応院。墓所は、東京都台東区の谷中霊園にある。
|
|
|