井伊直存
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井伊 直存(いい なおあり、享保4年4月1日(1719年5月19日) - 宝暦10年9月20日(1760年10月28日))は、越後与板藩の第4代藩主。直勝系井伊家8代。
伊勢桑名藩主・奥平松平忠雅の四男。松平忠刻の弟。母は忠雅の家臣の娘・永林院。奥平松平家での名乗りは、松平清淳。正室は阿部正晴(忍藩主・阿部正武の三男)の娘・見樹院(阿部正喬の養女)。子に井伊直弼(長男)、井伊直郡(次男)、井伊直朗(三男)、井伊直頼(四男)、娘(井伊直幸正室)、娘(小出英常継室)、娘(秋元永朝正室)。従五位下、伊賀守、兵部少輔。
[編集] 略歴
享保4年(1719年)4月1日、江戸に生まれる。幼名は伊勢之介。
享保20年(1735年)、先代藩主の井伊直員が死去する3日前に養嗣子となり、同年5月26日に後を継いだ。日光祭礼奉行や朝鮮通信使の接待役を努めた。
宝暦6年(1756年)11月23日には江戸藩邸が焼失している。
宝暦10年(1760年)9月20日、42歳で江戸にて死去し、後を次男・直郡が継いだ。法号:桂岳院徹心道馨。墓所:東京都墨田区向島の弘福寺。
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