京極高通 (丹後国峰山藩主)
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京極 高通(きょうごく たかみち、慶長8年9月9日(1603年10月13日) - 寛文5年12月14日(1666年1月19日))は、峰山藩の初代藩主。朽木宣綱の次男で京極高知の養子。官位は従五位下、主膳正。正室は京極高知の娘。子に京極高供、京極高昌、京極高成、娘(柳生宗冬室)。
母は京極高吉の娘で、その縁で元和2年(1616年)、徳川秀忠の小姓となり3000石を賜う。元和8年(1622年)には京極高知の遺領の内の峰山1万石を分与され、1万3000石を領し立藩した。峰山藩は宗家の京極家が改易になる中、明治時代まで峰山の地を領し続けた。
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