仙元誠三
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仙元 誠三(せんげん せいぞう、1938年7月23日 - )は、日本映画のカメラマン、撮影監督。
京都府出身。同志社大学中退。1958年8月1日、松竹に入社。松竹京都撮影所にて撮影助手を務める。1967年にフリーとなり、1969年の『新宿泥棒日記』でカメラマンとしてデビュー。独特の長廻しの撮影を監督の村川透とともに作り上げ、松田優作とのトリプルコンビで、1970年代後半に数々のアクション映画を成功させる。また、絵画的、スタイリッシュな映像作りでも定評がある。松田優作との親交は深かった。
[編集] 親交
村川透とは1977年のテレビドラマ、『大都会 PARTII』からの付き合い。同じ視点で仕事の出来る人だったと語る。撮影の際は全面的な信頼関係が築かれていたという。一時期確執気味になったものの、近年は又ともに仕事をするようになった。 松田優作には、なぜか慕われていたという。ことあるごとに声をかけられたと語る。事実、彼の出演作品のほとんどを手がけている。 自分の生活はセントラルアーツの黒澤満によって支えられてるようなものと語る。 2002年、『凶気の桜』の際、窪塚洋介に、仙元さんと丸山(昇一)さんは怖いおとなだったと語られている。一方、仙元本人は、若いスタッフ・キャストと自分との間に、多少なりともずれがあったということを認めている発言をしている。近年は『フライ,ダディ,フライ』(2005年)などの若者向けの作品にも積極的に参加している。
[編集] 主な撮影作品
- 新宿泥棒日記(1969年)
- 書を捨てよ町へ出よう(1971年)
- キャロル(1974年)
- キタキツネ物語(1978年)
- 殺人遊戯(1978年)
- 最も危険な遊戯(1978年)
- 処刑遊戯(1979年)
- 蘇える金狼(1979年)
- 白昼の死角(1979年)
- 大激闘マッドポリス'80(1980年)
- 野獣死すべし(1980年)
- ヨコハマBJブルース(1981年)
- セーラー服と機関銃(1981年)
- 汚れた英雄(1982年)
- 里見八犬伝(1983年)
- 探偵物語(1983年)
- 愛情物語(1984年)
- Wの悲劇(1984年)
- 早春物語(1985年)
- めぞん一刻(1986年)
- キャバレー(1986年)
- ア・ホーマンス(1986年)
- この愛の物語(1987年)
- 恋人たちの時刻(1987年)
- ラブ・ストーリーを君に(1988年)
- いこかもどろか(1988年)
- 愛と平成の色男(1989年)
- ウォータームーン(1989年)
- オルゴール(1989年)
- キッチン(1989年)
- バカヤロー!3 へんな奴ら(1990年)
- 女がいちばん似合う職業(1990年)
- 福沢諭吉(1991年)
- リング・リング・リング 涙のチャンピオンベルト(1993年)
- 免許がない!(1994年)
- BE-BOP-HIGHSCHOOL(1994年)
- BE-BOP-HIGHSCHOOL 1 舌先三寸歩武堂々(1996年)
- BE-BOP-HIGHSCHOOL 2 青春野郎白昼夢(1996年)
- BE-BOP-HIGHSCHOOL 3 不良少年人生問答(1996年)
- BE-BOP-HIGHSCHOOL 4 不良人生摩訶不思議(1996年)
- あぶない刑事リターンズ(1996年)
- 極道の妻たち・決着〈けじめ〉(1997年)
- 義務と演技(1997年)
- あぶない刑事フォーエヴァー THE MOVIE(1998年)
- 共犯者(1999年)
- 凶気の桜(2002年)
- プレイガール(2003年)
- 西部警察 SPECIAL(2004年)
- まだまだあぶない刑事(2005年)
- フライ,ダディ,フライ(2005年)