伊藤文吉
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伊藤文吉(いとうぶんきち)とは、新潟市沢海に居を構えた豪農の当主名。
[編集] 系譜
- 初代文吉。元文元年:(1736年) - 享和元年(1801年)。
- 二代目・安次郎。明和4年:(1767年) - 没年不明。天保8年には名字帯刀を許される。
- 三代目・為次郎(幼名)。安次郎の後妻の子で、安次郎の養子。生没年不明。伊藤家の土台を築く。
- 四代目・佐六。生没年不明。ただし父・三代目文吉より早く没したため、当主につくことはなかった。
- 五代目・要之介。生年不明 - 明治24年(1891年)12月29日。為次郎の孫。現北方文化博物館となっている建物の大部分を建築。
- 六代目・謙次郎。明治3年(1870年) - 明治36年(1903年)。夭折であった。
- 七代目・淳夫。生没年不明。彼の時代に伊藤家の所有地面積がピークに達する。謙次郎の次男。財団法人北方文化博物館の初代理事長兼館長。
- 八代目・吉彦。現当主。昭和2年(1927年)生まれ。現在の理事長兼館長。