先住民族
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先住民族(せんじゅうみんぞく)とは、国土の一定地域を先祖伝来の彼らのテリトリーとして暮らし、言語、文化、宗教などで他の民族集団とは異なる独自の特徴を有し、近代国家の成立に際してその主要な構成民族として関与せず、国家から従属を強いられ、又は侵略され、それ故に先住権と自決権を主張する民族集団である。
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[編集] 定義
国際的に確定した定義はないものの、国連「先住民族宣言」(案)、国際労働機関(ILO)169号条約などの国際条約、世界銀行やアジア開発銀行、その他の国際開発機関における政策文書(policy paper)などで先住民族の権利を擁護し、あるいは開発で彼らの権利を侵害しないための政策文書などでも一定の定義がしめされ、合意が形成されつつある。
先住民族という言葉は、集団の権利概念を含む故に極めて政治的な用語であって、ある民族集団をして第3者が勝手にその集団を先住民族と呼ぶ事は許されない。例えば、タイ北部の山岳民族は、自決権の主張が法的に許されない事などが背景にあって、通常では先住民族であると見なされる民族集団であるが、自らを先住民族であるとはしていない。
誰が先住民族の構成員であるかは、その民族による認知と、個人の帰属意識によって決まるというのが一般的である。しかし、例えば国家が先住民族の構成員に対して、国家賠償を行っている北アメリカなどの例では、純粋な先住民族の血が16分の1以上とか、極端には4分の1以上までと法的に制限している。
先住民族であるかどうかと、人口的に少数であるかどうかは何ら関係ない。殆どの先住民族は人口的にも少数であり、それ故に少数民族でもあるが、例えばグアテマラでは人口の8割近くを占めるインディオは、国家の政治経済において傍流に組み入れられ、その意志決定から疎外されており、故に自らを先住民族とみなしているし、国際的にも認められている。なお、マイノリティ=人口的に少数という解釈も疑義が持たれている。例えば、人口的に多数を占めているが、移民集団である故に市民的政治権利が制限されているケースもあり、その場合、彼らはその国におけるマイノリティであると見なされる。
[編集] 表記
先住民族は、英語ではindigenous peoplesという。本来複数形である、Peopleの末尾にsがつくのは国際法上の自決権の存在を表し、日本語ではこれを先住民族と訳し、権利概念を含まない用語である先住民(indigenous people または indigenous population)という概念と区別している。そのため、日本を含めて多くの国/政府は、莫大な国家賠償や分離独立を恐れて先住民族という用語を受け入れていない。その一方で、カナダのように憲法で明確に先住民族の存在を認知している国家もある。(ただし、カナダにおいてもいわゆる先住民族の権利が具体的に何を指すかは議論が分かれており、曖昧なままとなっている)
国際文書で見ると、外務官僚など国家の代表が参加する国連人権小委員会での用語は、依然としてindigenous populationであるが、国際機関のガイドラインなどではindigenous peoplesとs付きで表記するのが主流となってきている。
先住民族は集団を示し、先住民は個人を示す、という説明は上記の説明からも分かる通り妥当性を欠いている。日本人と言った場合、日本人全体を表す場合と、一人を表す場合があるのと同じである。但し、実際の記述に当たってはそうした意味で分けて使われる場合が多い。
[編集] 文化・経済
先住民族は、文化的/文明的に遅れているというイメージが一般にあるが、これは彼らに対する代表的な偏見であって、もとより開発の度合いと先住民族であるかどうかは何ら関係ない。但し、永年に渡って集団として発展の機会を奪われてきたために、文明から「遅れている」とイメージされる生活状態にあるケースが多いのは事実である。また、生活の基盤であった土地やその利用権が略奪され、観光が主要な生計手段となっている場合、観光客に見せるためにある種の後進性をあえて保持している場合もある。例えば、巨大な耳輪や首を長くするための首輪は、かつてその民族の女性らしさや男性らしさを強調するための風習であったが、現在では観光業者によって支払われる報酬のために止める事が出来ない場合が多い。
[編集] 国内
アイヌは、他の日本人と何ら変わらない日常生活を送っている。これを持って、アイヌは滅んだという主張が80年代まであったし、また先住民族としてのアイデンティティが欠如しているとの批判も一部にある。つまり、アイヌは日本人に完全に同化したという議論である。しかし、集団としての経済基盤を比較すると平均以下であるし、教育水準も平均を下回り、医師や弁護士など高度に専門的な職業に就いている割合も、極端に低い。殆どの人々は、アイヌ語および彼らの先祖伝来の文化を、十分に享受する機会を失わされており、差別と偏見を恐れて、自らをアイヌであると名乗ることが難しい状況に追込まれている。
- 明治以降、北海道旧土人保護法やその他の政策によって、彼らの土地を取り上げ生活基盤を変え、漁業権・狩猟権をアイヌには与えず、その一方でアイヌ語の禁止、旧土人学校における皇民化教育などを通じて、100年以上に渡って続いた政策の結果である。それ故、アイヌ文化のみ保護しようとする「アイヌ文化振興法」は、日本の人権施策の遅れを示す好例とも言われる。
財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構が、アイヌ文化振興法(いわゆるアイヌ新法)の実施団体として業務にあたっている。また、北海道庁環境生活部では、数年おきに「ウタリ生活実態調査」を実施し、生活状況等の把握に努めている。アイヌによる団体としては、社団法人北海道ウタリ協会(本部・札幌市中央区)がさまざまな啓発活動等を進めている。
[編集] 見方
先住民族をして、自然と共に生き、文明に汚染されていない純粋な心を保持している集団だと美化する人々もいる。そうした人々の想定する先住民族は、おしなべてアニミズムの傾向が強く、貧困とエコロジーを混同していたりする。中には、先住民族を超能力者か魔法使いの末裔であるかのように、自然と交信できる特別な才能を持った集団として描き、先住民族から批判されている。
こうした見方は、先住民族に対する著しい偏見であって、差別である。彼らが、どのように生きるのか、生きているのかは、彼ら自身が決める事であって、その生き方をもって先住民族であるかどうかを判断しようとするのは僭越であり、不当である。
[編集] 現状・今後
先住民(族)に類する用語として日本語では、原住民、部族民、土人などの言葉が歴史的に使われてきたが、場合に代っては差別的、侮蔑的な意志を込めて使われたために、少なくとも先住民族の権利を擁護する立場をとる人々は、これらの用語を積極的には使わない。土人は、現在では純粋な差別語とされるが、部族はしばしば民族のサブカテゴリーとして使われている。
中国語では、先住民はすでに滅んだ、あるいは既にいなくなった人々を意味するため、台湾では原住民族と呼んでいる。英語その他の外国語においても、先住民族を表す用語は過去20年を見ただけでも変わってきている。例えば、近年アメリカ先住民族は久しくネイティブと呼ばれてきたが、最近ではインディアンという言葉を認めようとする動きも、先住民族自身から出ている。
1993年、国連先住民年とその後の国連先住民の国際十年を背景に、先住民族を巡る状況は大きく変化し、また一般の人々の理解も大きく変わってきたために、その変化を反映して、先住民族運動自体が用語に対してより柔軟な姿勢に変わってきたという事情が背景にあって、呼称での変化も起きている。