前田雄吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 雄吉(まえだ ゆうきち、昭和35年(1960年)1月8日 ‐ )は、平成期における日本の政治家。衆議院議員(3期)。
生年月日 | 昭和35年(1960年)1月8日 |
---|---|
出生地 | 愛知県 |
出身校 | 慶応義塾大学法学部卒業 |
学位・資格 | 学士 |
前職・院外役職(現在) | 政党役員 学習塾経営 |
所属委員会 ・内閣役職(現在) |
衆・安全保障委員会理事 |
世襲の有無 | 無 |
選出選挙区 (立候補選挙区) |
比例東海ブロック (愛知6区) |
当選回数 | 3回 |
所属党派(現在) | 民主党(小沢グループ) |
党役職(現在) | 国会対策副委員長 |
会館部屋番号 | 衆・第2議院会館323号室 |
ウェブサイト | 民主党「前田ゆうきち」オフィシャルウェブサイト |
[編集] 概要
愛知県立五条高等学校を経て、愛知教育大学に入学、その後慶応義塾大学法学部に転じて卒業後、松下政経塾入塾し松下幸之助に師事。ロータリー財団より、オーストラリア国立大学留学。
学習塾を営みながら、1990年2月18日の第39回衆議院議員総選挙に旧愛知2区から無所属で出馬するも、泡沫候補扱いで惨敗する。日本新党結党に加わり、細川護熙日本新党愛知県第2総支部長、同党愛知県幹事を務めた。当時の新進党衆議院新人コンテストに合格したが、同党が解党。その後1999年、民主党愛知県総支部連合会副代表に就任。雌伏10年を経て、2000年、第42回衆議院議員総選挙にて「今、変える!!」をキャッチフレーズに初当選を果たす。2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では小選挙区で勝利した。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では小選挙区で敗れるも比例区から当選した。
社会保険庁の是非について騒がれた際には、同庁の5万円の朱肉などの税金の無駄遣いを指摘し、大手週刊誌でも話題になる。また、病院でレンタル業者などが設置したプリペイドカードなどによる貸しテレビに病院と業者間の取り決めなどでNHKの受信料が課金されているケースをつきとめ、入院患者から受信料を自宅と病院で二重徴収をしているNHKの受信料徴収におけるずさんな実態を明らかにするなど、精力的に活動を行っている。
最近では、外務省職員が中国残留孤児二世の日本人男性(民間人)に中国の情報収集を依頼し、”逮捕されたら外交ルートで助ける”と約束しておきながら、いざ男性が中国当局に捕まると、何の援助もせず、その男性は厳しい獄中生活を強いられたと言う事実が大手週刊誌に取り上げられた。この問題も前田による指摘で公になった。
衆議院決算行政監視委員会理事、衆議院安全保障委員会委員。民主党内では小沢一郎グループ“一新会”事務局長、国会対策副委員長、文化団体局次長。そのほか知的財産権を守る超党派議員連盟事務局長を務める。
趣味は甲冑の制作・蒐集で、尾張国清洲藩主松平忠吉を中心に尾張の安土桃山時代から江戸時代にかけての歴史研究を行っている。(前田は加賀百万石の旧前田藩〔石川県〕の子孫でもある。)
好きな言葉は“一隅を照らす”
[編集] 著書
[編集] 外部リンク
- 前田ゆうきち(公式サイト)
- リアルタイム前田ゆうきち(公式ブログ)
カテゴリ: 人物関連のスタブ項目 | 日本の国会議員 | 愛知県の政治家 | 1960年生